いはや

いわや

主人公の姫の父・堀河中納言は妻(姫の実母)と死別し、三年後に後妻・北の政所を迎えた。後妻を迎えるにあたって、先妻の遺児である姫は対の屋に部屋を移ったので、それ以降、対の屋の姫君とよばれるようになった。この物語が『対の屋姫物語』とも呼ばれるのは、この居室名にちなんでいる。

姫は和琴、琵琶などに秀で、見目麗しく育っていたが、実母の病、早世から沈みがちのくらしとなり、自室にこもって母を弔う日々を送るようになる。後妻には主人公の姫より一歳年上の娘があり、表向きには平穏の時が流れていたが、父・中納言が太宰帥となったため、一家で筑紫国へと下向する。海路の途中、明石の浦に七日ほど停泊し、翌朝の出発を控えた夜、継母の謀によって対の屋姫は、海に沈められようとするが、殺しきれなかった家来によって海上の岩の上に置き去りにされる。姫は舟で通りかかった海人に救われ、明石の浦の海人夫婦の岩屋で暮らすことになった。

一方、中納言等は、姫は海へ沈んだものと思い、姫の婚約者四位少将は、悲しみのあまり出家する。一周忌、三回忌の法要を終えたころ、二位中将という皇子が、湯治の帰途明石浦に通りかかった際、姫を見染めて都へ連れ帰る。二位中将の母である北政所は息子が海人の子を寵愛していると知り、嘲笑するため姫を呼び出す。しかし予想に反する姫の美貌と教養の高さに、周囲の者たちも感嘆せずにはいられなくなった。正式に妻となった姫は、中将との間に子をもうけ、一族繁栄、栄華を極めたという。

『常照-佛教大学図書館報 第58号』より (PDF:3.7MB)