原文

【十之巻】大光山本國寺 寺領百五拾五石余

後醍醐天王の御宇
こんりう
日れん上人上足の弟子
日らう上人のかいきの所也
法花名者
福不可量の地なりし

解説

巻十は寺数としては本国(圀)寺、西本願寺、東本願寺の三寺ですが、本国寺を定宿としていた朝鮮通信使の様子がいきいきと描かれています。江戸時代の朝鮮通信使の来日は都合十二回、そのうち第七回(正使・尹趾完)の天和二(一六八二)年の記事が紹介されています。当時堀川五条のあたりにあった本国寺は朝鮮通信使の定宿となっていました。定宿といっても鴻臚館(こうろかん)とあるように外交、交易の迎賓館ともいうべきところでした。本国寺境内の図に付して唐人来朝付曲馬乗の図に六葉も割かれています。十数年に一度お目にかかれる外国人の行列ですからとても興味津々の記事であったことでしょう。実際の使節団は朝鮮人ですが、当時はアジア系外国人を総称して唐人とよぶことが少なからずあったのでそのような見出しが付いています。これも上下二段取りで、上段に通信使の隊列を、下段には鴻臚館内に座した様子および随行の曲馬乗の技と見物の様子が描かれています。なお、このなかに「唐人来朝の年より今寶永二年まて・・・」の一文があり、『花洛細見圖』が宝永二(一七〇五)年頃に成立したことがわかります。