若者の心をとらえた青春の書12選  ‐井上靖『あすなろ物語』‐

新入生の皆さん、入学おめでとう!近年、大学生でも「読書離れ」「活字離れ」が叫ばれていますので、私は、昨年度、ぜひ1年次生の間に読書の楽しさを味わい、読書の習慣を身につけていただきたいと願い、「私の心に火をともした青春の書12選」を連載しました。今年度は、私が前任校で、全学の1年次生対象の「ポケット・ゼミ」や教育学部の2年次生対象の「教育学基礎演習」において取り上げて読んだ青春の書のうち人気の高かった12冊を選び、五十音順に紹介していきます。皆さんも興味が湧いたら、読んでみて下さい。

最初に紹介しますのは、井上靖(1907-1991)の『あすなろ物語』です。井上は1907(明治40)年、旭川に生まれ、5歳のとき父母のもとを離れ、父母の郷里伊豆・湯ヶ島に帰り、曽祖父の「妾」であったかの(・・)に育てられました。沼津中学校を経て、旧制第四高等学校に入学、卒業後、九州帝国大学法文学部に入りますが、のちに京都帝国大学文学部に転じ、友人と同人雑誌「聖餐」を創刊します。1936(昭和11)年に卒業後、毎日新聞大阪本社に入社、宗教記者や美術記者を務め、1950(昭和25)年に『闘牛』で芥川賞を受賞して、文壇に登場し、その後、多くの名作を発表して、1976(昭和31)年には文化勲章を受章しています。

『あすなろ物語』は1954(昭和29)年に書かれ、主人公梶鮎太の幼少年時代から壮年時代までを六つの短編で綴った井上靖の自伝的小説の一つです。各編がほぼ独立して描かれていますが、もっとも若者の心をとらえたのは第一話「深い深い雪の中で」でした。

「深い深い雪の中で」は、鮎太が親元を離れ、祖母りょうと伊豆・天城の土蔵の中で暮らしていましたが、13歳になった春、祖母の姪である19歳の冴子が突然現れ、旅館に宿泊中の東京の大学生加島との叶わぬ恋を心中という形で清算する物語です。冴子は美貌で「村の娘の誰よりも色が白く、眼は大きく澄んでおり、表情は見るからに活き活きとしていた」ので、鮎太は年上の彼女に淡い恋心を覚えますが、彼女から加島宛の手紙を渡すように頼まれ、彼と話す機会を得ます。「君、勉強するってことは、なかなか大変だよ。遊びたい気持に勝たなければ駄目、克己って言葉知ってる?」「自分に克って机に向かうんだな。入学試験ばかりではない。人間一生そうでなければいけない」。鮎太はこれまで「克己」というこれほど魅力のある言葉を知りませんでした。彼は次の日から朝6時に起きて受験勉強を始めます。しかし、その年の12月中旬、冴子と加島は天城山中で心中をしてしまいます。

鮎太にいままでに一番大きいものを教えてくれた二人の人間が同時に、同じ場所で死んでいるということは、彼に悲しみよりももっと大きな衝撃を与え、「この二人の死を超えて行かねばならない」という決意をもたらす大人へのイニシエーションとなったのです。その二人が死んでいるすぐ側には、冴子が鮎太に「あすは檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだって!」と教えてくれた翌檜(あすなろう)の木が一本だけ生えていました。この悲しくも切ないテーマが本書の全編を貫いており、明日は檜になろうとつねに夢見ながらついになれない翌檜たちが描かれています。

井上靖の他の作品でお勧めしたいのは、同じ自伝的作品の『しろばんば』『夏草冬涛』、歴史小説の『天平の甍』『楼蘭』『敦煌』『蒼き狼』『風林火山』『額田女王』などです。もちろん、『氷壁』もお勧めの初期の傑作です。

<紹介図書>

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    • 『あすなろ物語』 井上靖著/新潮社/1958.11

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  • 『しろばんば』 井上靖著 /新潮社 /1965.3

 

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  • 『夏草冬涛』(上・下) 井上靖著 /新潮社 /1989.5

 

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  • 『天平の甍』 井上靖著 /新潮社 /1964.3

 

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  • 『蒼き狼』 井上靖著 /新潮社 /1954.6

 

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  • 『風林火山』 井上靖著 /新潮社 /2005.11

 

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  • 『額田女王』 井上靖著 /新潮社? /972.10

 

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  • 『氷壁』 井上靖著 /新潮社 /1963.11