館長コラム~私の心に灯をともした青春の書12選 倉田百三『出家とその弟子』

 私は奈良市に生まれ、東大寺のすぐ傍で育ちました。ですから、東大寺周辺の宗教的雰囲気と四季折々の美しい景色が知らず知らずのうちに私に佛教への関心を呼び起こしてくれました。しかし、佛教に意識的に向き合うきっかけを与えてくれたのが、私が大学1年次のときに読んだ倉田百三の『出家とその弟子』です。

 倉田百三は1891(明治24)年広島県に生まれ、1910(明治43)年旧制第一高等学校に入学しますが、1912(明治45)年結核のため中退、以後カリエスを併発し、入退院を繰り返す生活を余儀なくされます。1917(大正6)年、彼26歳のときに刊行された戯曲『出家とその弟子』がベストセラーとなり、1921(大正10)年刊行の評論集『愛と認識との出発』とともに、旧制高校生の愛読書の上位を占め続けました。1943(昭和18)年52歳で亡くなっています。

 『出家とその弟子』には、親鸞とその息子で勘当され、酒と遊女に溺れる善鸞、遊女かえでに思いを寄せる年若い弟子の唯円(のちの『歎異抄』の著者)らが登場します。本書について、晩年、倉田自身が「私の青春の悩みと憧憬と宗教的情操とがいっぱいにあの中に盛られている。うるおいと感傷との豊かな点では私はまれな作品だろうと思う。」と書いていますように、本書は文字通り青春文学と宗教文学の典型であると言えましょう。私は唯円とかえでとの恋の悩みを共に悩みながら、親鸞の深く、豊かで、温かな叡智に強く心を打たれ、かつ心慰められました。読書ノートに書き残された科白の多さがそのことを物語っています。代表的なものを三つばかり紹介しましょう。

 第一に、親鸞の「若い時には若い心で生きて行くよりないのだ。若さを振り翳(かざ)して運命に向うのだよ。純な青年時代を過さない人は深い老年期を持つ事も出来ないのだ。」という言葉が私に「純なるもの」「聖なるもの」をまっすぐに追い求めて生きようとの決意を固めさせてくれました。

 第二に、唯円の「人間のねがいと運命とは互いに見知らぬ人のように無関係なのでしょうか。」という問いに対する親鸞の答え「願いとさだめとを内面的に?(つな)ぐものは祈りだよ。祈りは運命を呼びさますのだ。運命を創(つく)り出すといってもいい。」が、自力志向であった私に祈りの能動性に気づかせ、「仏様のお慈悲が有り難く心に沁むようになります。南無阿弥陀仏がしっくりと心にはまります。」という言葉を納得させたのでした。

 第三に、教育学を学び始めていた私は親鸞の言葉「たとい法然上人に騙(だま)されて地獄に堕(お)ちようとも私は怨みる気はありません。」に、これこそ真の師弟関係だと感動させられました。もちろん、これは、『歎異抄』にある「たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念佛して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ。」という親鸞の言葉を踏まえての科白です。親鸞が法然上人の弟子になったのが、親鸞29歳のとき、法然上人は69歳でした。親鸞の言葉は40歳の年齢を超えて信仰によって結ばれた、法然上人への全面的な信頼、いな「帰依」を表しています。ここに、「信」の世界の素晴らしさ、人間関係の究極の姿を見る思いがしました。

 大学時代、私の佛教への関心を深めてくれた作品には、ほかに竹山道雄の『ビルマの竪琴』やヘッセの『シッダルタ』などがあります。

<紹介図書>

出家とその弟子
  倉田百三著 岩波文庫 2003.7
  請求記号080∥イナフ4∥67;1
愛と認識との出発
  倉田百三著 岩波書店 1921.10
  請求記号914.6∥15
ビルマの竪琴』(竹山道雄著作集;7)
  竹山道雄著 福武書店 1983.10
  請求記号918.6∥165∥7
シッダールタ ; 湯治客 ; ニュルンベルクへの旅 ; 物語集』』(ヘルマン・ヘッセ全集;12)
  ヘルマン・ヘッセ著 日本へルマン・ヘッセ友の会・研究会編・訳 臨川書店 2007.12
  請求記号948.78∥2001∥12
『歎異抄』他』(新編日本古典文学全集;44)所収
  親鸞述 唯圓編 安良岡康作校注・訳 小学館 1995.3
  請求記号918∥シヘニ∥44