館長コラム~私の心に灯をともした青春の書12選 森?外『雁』(28-4)

 若葉の緑が日ごとに濃さを増し、風薫る、爽やかな5月になりました。新入生の皆さんも佛教大学の新しい環境や人間関係に慣れ、勉学に、スポーツに、あるいはアルバイトにと意欲的に取り組んでおられることでしょう。

 50年前の私も5月には、前回述べましたように、桑原武夫著『文学入門』の巻末に付されていた「世界近代小説50選」から関心のある本を選んで図書館から借り出すとともに、高等学校の教科書で取り上げられていた日本の作家の小説を文庫本で買って、通学電車の中で読み始めていました。

 私が大学に入って最初に買った文庫本は、高校時代から関心のあった芥川龍之介の『羅生門・鼻・芋粥・偸盗』(岩波文庫)で、価格は“★”二つの80円でした。貧乏学生だった私は、できるだけ“★”一つ40円の文庫本から読もうと―みみっちい話で恐縮です―、次に『河童』、続いて『歯車 他二篇』や『侏儒の言葉』(いずれも岩波文庫)を見つけて読みましたが、彼の晩年の作品の暗さになじめず、代わって森?外の文庫本に挑戦することにしました。『山椒大夫・高瀬舟』、『阿部一族 他三篇』、『舞姫・うたかたの記 他二篇』が角川文庫で40円でしたので、それらを買って一気に読み、?外作品に魅せられました。

 ?外作品の中で当時の私が最も惹かれたのが『雁』(岩波文庫★)でした。あらすじは、次のとおりです。女主人公のお玉は母親を誕生後すぐに亡くし、父親とのつましい二人暮らしの中で美しい娘に成長します。その美しさに目をつけた巡査が入り婿になりますが、彼には国に妻子があることが分かり、離縁。その後、末造という男が「妻に死なれた大きな商人」との触れ込みで彼女を「妾」にしようとします。元来おとなしく、父親思いのお玉は、父親の老後の幸せのためにと、承知します。しかし、まもなく末造は高利貸で、彼には妻子があることを知り、お玉はショックを受けます。そんなとき、夕食後の散歩で家の前を通る東京帝国大学医科大学生の岡田を見かけ、やがて窓越しに挨拶を交わすようになります。末造がお玉に買ってやった紅雀を蛇が襲い、騒ぎになっているところに、通りかかった岡田が助け、図らずも二人は言葉を交わします。紅雀を助けてもらったお礼に何をしたらよいか、お玉はあれこれ腐心しますが、よい手段が思い浮かびません。たまたま、末造が千葉へ出張することになったので、女中も親元へ帰し、岡田を迎え入れる準備をしますが、その夕方の岡田の散歩には友人の「僕」と石原という連れがあり、お玉は自分の家より2、3軒前まで出迎えていたにもかかわらず、岡田をじっと見送るほかありませんでした。翌日、岡田はドイツ留学に旅立って行きました。

 私は、女主人公のお玉の辿る運命のはかなさとひそかに心を寄せ始めていた岡田との残酷な別れにいたく同情するとともに、岡田が逃がしてやろうと思って投げた石が偶然にも雁に命中して死んでしまう思惑違いと悲運が私自身の将来を暗示しているのではないかという不安に駆られたのを思い出します。

 その後、?外の娘の小堀杏奴『晩年の父』(岩波文庫)や森茉莉『父の帽子』(講談社文芸文庫)などを読み、私は文豪でも、軍医総監でもない、愛情溢れる人間?外の姿にすっかりほれ込み、郷里津和野の永明寺にある「森林太郎」とだけ書かれたお墓にも参っています。

<紹介図書>

 『雁』
  森?外著 岩波文庫 2002.10
  請求記号080∥イナフ4∥5;5

 『羅生門・鼻・芋粥・偸盗』
  芥川龍之介著 岩波文庫 2002.10

 『河童 他二篇』
  芥川龍之介著 岩波文庫 2003.10

 『歯車 他二篇』
  芥川龍之介著 岩波文庫 1979.1

 『侏儒の言葉』
  芥川龍之介著 岩波文庫 1971.4

 『山椒大夫・高瀬舟』
  森?外著 角川文庫 1954

 『阿部一族 他三篇』
  森?外著 角川文庫 1954

 『舞姫・うたかたの記 他二篇』
  森?外著 角川文庫 1954

 『文学入門』
  桑原武夫著 岩波書店 1963.11』
  請求記号080∥イナシ2∥34

 『晩年の父』
  小堀杏奴著 岩波文庫 1981.9

 『父の帽子』
  森茉莉著 講談社文芸文庫 1991.11

 『?外全集』
  森?外著 岩波書店 1971.11-1975.6
  請求記号918.6∥42∥1_38

 『芥川龍之介全集』
  芥川龍之介著 岩波文庫 1995.11-1998.3
  請求記号918.68∥アクリ∥1_24