館長コラム~私の心に灯をともした青春の書12選 ヘッセ『車輪の下』

 50年前、私が教育学部に入学し、最初に受けた教育学の講義は鰺坂二夫先生の担当でした。先生の最初の講義はシューベルトの「野ばら」―それもゲーテの詩を板書されて―の独唱から始まりました。素晴らしいバリトンで、感動しました。そんな先生ですから、講義も面白く、毎回期待して聴講しました。今日、講義内容そのものは正確には思い出せませんが、ただ先生が、教育学を学ぶには、専門書を読むのもよいが、文学に現れた子ども像や教師像に触れ、教育的センスを養うのも大切だとおっしゃったことは鮮明に覚えています。「なるほど」と思い、私は石川啄木の『雲は天才である』、島崎藤村の『破戒』、夏目漱石の『坊ちゃん』、中勘助の『銀の匙』、壺井栄の『二十四の瞳』、外国の作品では、ルナールの『にんじん』やケストナーの『飛ぶ教室』、ヒルトンの『チップス先生さようなら』、そして今回採り上げるヘッセの『車輪の下』などを読み、深い感銘を受けました。

 ヘルマン・ヘッセは1877年、南ドイツの小さな町カルフに生まれ、1962年にスイスのモンタニョーラにおいて85歳で亡くなったノーベル賞作家です。『車輪の下』という作品は、彼自身のマウルブロン神学校在学中の体験をもとに書かれた自伝的小説です。彼は、宣教師であった祖父や父のあとを継ぐべく、14歳で神学校に入学しますが、詩人になりたかった彼は、学校の詰め込み教育と規則ずくめの寮生活になじめず、7ヵ月後に神学校から脱走します。その後、ヘッセはギムナジウムに転入学しますが、そこも長続きせず、自殺を考え、2度もピストルを買いました。しかし、彼のために心身をすり減らした母親が病に倒れ、苦しんでいるのを見るにつけ、これ以上母親に心配をかけたくないと、彼は町工場の見習い工になります。18歳のときには、チュービンゲンの書店に勤め、仕事に励むとともに、詩作を始めます。そして22歳で処女詩集『ロマン的な歌』を自費出版し、1904年には、小説『ペーター・カーメンチント』(邦訳『郷愁』)が認められて、一躍人気作家になります。彼27歳のことでした。『車輪の下』は、その2年後、1906年に出版されました。

 『車輪の下』の主人公ハンス・ギーベンラートは天分に恵まれた少年で、父親や教師はもとより、町中の期待を背負って、難関の神学校の試験を受け、2番で合格します。このように、ハンスは周囲の期待にこたえようと多くのことを犠牲にして勉強に打ち込んできた「優等生」でしたが、入学して寮で同室になった詩人で天才肌のヘルマン・ハイルナーの影響を受けて、勉強に意味を見出せなくなり、一転「問題児」となってしまいます。教師たちの彼に対する態度は次第に厳しさを増し、「傷つきやすい子どものあどけなく彼らの前にひろげられた魂を、なんのいたわりもなく踏みにじり」、彼らはハンスを「車輪の下敷き」にしてしまいます。彼は神学校中退後、郷里に帰り、錠前屋の見習いになりますが、ある日、大酒を飲んだあげく、川で死体となって発見されます。ヘッセ自身は母親の愛で立ち直りますが、母親を早くに亡くしたハンスは悲劇的な最後を迎えることになるのです。

 本書は、厳しい受験競争を経て入学した若者にとって共感し、癒されるところが多く、また、今日の教育問題を考えるうえにも参考になる問題提起が随所に見られます。教育者をめざす諸君に一読をお勧めします。

<紹介図書>

車輪の下
  ヘルマン・ヘッセ著
  請求記号080∥イナフ∥435;2
『雲は天才である』
  石川啄木著
石川啄木集
  石川啄木著 角川書店 1969.12
  請求記号913∥22∥23
『破戒』
  島崎藤村著
島崎藤村集
  島崎藤村著 角川書店 1970.8-1971.11
  請求記号918∥22∥13_14
『坊ちゃん』
  夏目漱石著
夏目漱石集
  夏目漱石著 角川書店 1969.10-1974.2
  請求記号918∥22∥24_27
銀の匙
  中勘助著 岩波書店 1948
  請求記号080∥イナフ6∥1250
『二十四の瞳』
  壺井栄著
壺井栄全集
  壺井栄著 筑摩書房 1968-1969
  請求記号918.6∥54∥1_10
『にんじん』
  ジュール・ルナール著
飛ぶ教室
  エーリヒ・ケストナー著 高橋健二訳 岩波書店 1993.12
  請求記号909.8∥イナセ∥20
『チップス先生さようなら』
  ジェームス・ヒルトン著