いま、ロシアの文豪ドストエフスキー(1821-1881)の『カラマーゾフの兄弟』の新訳がミリオンセラーになっています。文庫本5冊で売り上げ100万部を突破したそうです。まさかの「ドストエフスキー・ブーム」のなかで、私も亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』(光文社古典新訳文庫)を購入して読みましたが、分かりやすく一気に読める名訳です。ドストエフスキーの最高傑作は『カラマーゾフの兄弟』だと私は改めて思い知ったのですが、しかし、私の青春時代に忘れられない思い出を残してくれたのは『罪と罰』の方でした。
『罪と罰』は、1866年、ドストエフスキー45歳のときに書かれた作品です。ペテルブルグに住む貧しく孤独な青年ラスコーリニコフは、人間は「凡人」と「非凡人」に分けられ、「凡人」は服従の生活を強いられ、法律を踏み越える権利をもたないが、「非凡人」はあらゆる犯罪を行い、勝手に法律を踏み越える権利をもっている、自分こそその選ばれた少数の「非凡人」だと過信しています。その結果、彼は、全人類の救いになる自分の思想を実行するために、貧乏人の生き血を吸うしらみのような高利貸の老婆を殺しても罪にはならないと考え、「思想的殺人」を犯すのです。ところが、想定外の第二の殺人も犯し、彼は仰天・狼狽し、罪の意識に苦しめられます。その後、一切にけりを付ける覚悟をして警察に向かいますが、その直前で道を折れ、彼は殺人現場を再び訪れます。帰り道、マルメラードフという退職官吏で飲んだくれの男が馬車に轢かれて倒れている現場に出くわし、ラスコーリニコフはマルメラードフを彼のアパートに運びますが、彼は先妻との間の子で娼婦に身を落とし、生活を支えているソーニャの腕の中で息を引き取ります。このソーニャがのちにラスコーリニコフの魂を救済することになり、二人の運命的な出会いとなります。
予審判事ポルフィーリイは、ラスコーリニコフが犯人だと見抜いてはいますが、物証がないので、自白を促そうと追い詰めるのを、ラスコーリニコフもたくみにかわします。この両者の駆け引きは「刑事コロンボ」を見ているようで、実にスリリングで面白いのです。決局、ラスコーリニコフはソーニャの愛に触れて、老婆とその妹リザヴェーダ殺しを告白します。そのときの彼の言葉「ぼくはナポレオンになろうと思った、だから殺したんだ」は、自分をナポレオンと見なし、だから法を踏み越えても構わないとする彼の無茶苦茶な論理をよくあらわしています。しかし、彼は、自分の卑劣さと無能を知り、ついに自首を決意し、シベリアに流されます。ソーニャもその後を追って、シベリアへ行き、回心した彼の彼女への無限の愛を確信しつつ、彼の8年の刑期が終わるのを待ちます。こうして、「一人の人間がしだいに更正していくものがたり、その人間がしだいに生れ変り、一つの世界から他の世界へしだいに移って行き、これまでまったく知らなかった新しい現実を知るものがたり」(工藤精一郎訳、新潮文庫)は、大団円を迎えます。
大学時代、私も孤独で、憂鬱な気分で奈良の街や公園を歩き回ることが多く、主人公ラスコーリニコフの心情が他人事とは思えず、共感しながらも、彼の自意識過剰な「超人」思想には嫌悪感すら覚えました。ソーニャのような「美しい魂」の持ち主が「あなたについて行くわ、どこへでも!」と言ってくれないかなあと夢見たのも「いまは昔」です。
<紹介図書>
『罪と罰』(上)(中)(下)
ドストエフスキー著・江川卓訳 岩波文庫 1999.11-2000.2
請求記号080||イナフ||613;5_7
『カラマーゾフの兄弟』(上)(下)
ドストエフスキー著・江川卓訳 河出書房新社 1969.8-1969.9
請求記号988||2||12_13