佛教大学長・文学部教授 専門分野:仏教学 山極伸之
紹介図書
- ドグラ・マグラ
- 夢野久作著/角川書店/1976
- 脳のなかの幽霊
- V・S・ラマチャンドラン,サンドラ・ブレイクスリー著;山下篤子訳/角川書店/1999
- タイの僧院にて
- 青木保著/中央公論社/1979/請求記号182.954||2001
想い出に残る本について尋ねられた時、本の内容が思い浮かぶ場合もあれば、著者についての想い入れ、読んでいた当時の自分の姿、その本を読んでいた場所の記憶など、実際に想い出されるものは様々である。今回は、本にまつわるエピソードを語るというよりも、幅広いジャンルの中で学生の皆さんにとってもたぶん近づきやすく、手にとってもらえたら私も嬉しくなる、そんな三冊を選んでみた。
『ドグラ・マグラ』
古今東西のミステリーについて、私は相当うるさい方だと思う。小学生の時に熱中した江戸川乱歩『怪人二十面相』から始まって、近年のダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』、東野圭吾『容疑者Xの献身』等に至るまで、相当な数を読破してきたが、このジャンルで一冊だけ推薦するとなると本書以外にない。初読は高校生の時で、その際の衝撃は未だに皮膚に残っている(ような気がする)。九州帝国大学内の精神病院病棟で目覚めた「わたし」は、自分に関する記憶を失っていた。その「わたし」は過去の幾つかの事件と関わりを持っていて、物語が進むにつれ、事件・犯人・動機などが次第に明らかになっていく。ところが、「わたし」が作中で「ドグラ・マグラ」なる書物を見つけてからは、二つの「ドグラ・マグラ」が「わたし」を通して結びつけられていく。物語の中で本当は何が起こっていて、何が起こっていないのか。斬新なメタフィクションの手法により、物語の中で虚構が幾重にも重なりあい、そこから強烈な幻惑感が産み出される。しばしば「脳髄の地獄」とも称されてきた世紀の奇書。是非一度、手にとっていただきたい。
『脳のなかの幽霊』
もう一冊、「脳」に関わる本を。但し、こちらはノンフィクションで、アメリカの著名な脳科学者の手になる書である。脳科学の最先端において「脳」がどのように理解されているのかを綴っていくが、解明に向けた事例が生き生きと語られていて、大変分かり易く、読みやすい。豊富な実例や実験に裏打ちされているため説得力もあり、筆者が行っている臨床的な実験は、私たちでも簡単に取り組めるものが含まれていて、是非とも試してみたいと思わせてくれる。そんなインド系アメリカ人筆者が主として扱うのは「幻肢」と呼ばれる事例。事故などで指や腕をなくした患者さんが、実際にはない自分の指や腕の痛みを感じるという不思議な症状に対して、著者は鏡の仕掛けを使って、なくなった腕が鏡の中で見えるようにし、その錯覚を活用してなくなった腕が正常に動くことを脳に信じ込ませ、患者の痛みを消すことに成功する。このような実験を通じて、著者は具体的に脳の中で何が起きているのか、「意識」とは何なのかを解明していく。果たして、私たちの脳の中に幽霊は存在するのだろうか。本書を読んで確かめてみてはどうだろうか。
『タイの僧院にて』
最後は少し趣を変え、タイで出家し、実際にタイ仏教のお坊さんになってみた日本人が、その体験をまとめたエッセイ。タイのお寺が舞台となっているが、決して学術書や研究書のたぐいではなく、仏教の専門書でもない。著者自身が記しているように、タイで僧侶になってみた一人の文化人類学者(現在は文化庁長官)の描く体験記である。時代的には1970年代と少し古いが、簡潔な文章の中に、タイの風俗、タイの社会状況なども面白く描かれていて、堅苦しくなく大変読みやすい一般向けの書物である。にもかかわらず、学部生の時に本書と出会って、私は自分の研究の方向性について、なぜか強く影響を受けた。私の専門領域はインド仏教史・インド文化史。特に古代インドのお坊さん達が、実際どのように生活していたのかを明らかにする研究を行っている。インドとタイでは場所も違うし、扱う時代も大きく異なるため、同じ手法は当てはまらない。しかし、著者が描く僧侶の姿を自分の中でイメージしていくうちに、同じことを古代インドの僧侶に対して行ってみたいと考えるようになった。そのような意味で、本書は私の研究の出発点の一つでもある。それはともかく、気楽に読みながら、タイの様子を愉しめる一冊をどうぞ。