有
単色刷の京都図。他の京都図と異なり、山々や建造物が絵画的に描かれていない。また図の内容は宝暦9(1759)年に野田弥兵衛が刊行した「宝暦改正京絵図道法付」に似ているが、本資料の方が収載範囲が狭く、郊外の村名はほとんど削除されている。
天保改正袖中京繪圖 Tempo kaisei shuchu Kyo ezu
池田, 東籬亭 Ikeda, Toritei
多色刷の京都図。本資料刊行の約50年前の天明6(1786)年には、「天明新板袖中京絵図」が本資料と同じ版元(竹原好兵衛)から出版されている。「天明新板袖中京絵図」と本資料は、サイズはほぼ同じだが、資料名に「天保改正」とあるとおり、ところどころ修正されているため、全くの同版ではない。
二色刷の京都図。「嘉永五年壬子九月御免版行」、「京都六角通柳馬場西へ入町 平野屋茂兵衛板」の刊記がある。街区は墨刷りで、山は絵画的に表現されているが、寺社等の建造物の絵は他の絵図と比較すると控えめである。
多色刷の京都図。本体に題は記されていない。内容は「案見京都細図」(天保14[1843]年刊)に似るが、幕末に設置された京都守護職屋敷や薩摩藩邸(相国寺南)などが見られるため、幕末期の刊行と考えられる。
嘉永改正新選亰繪圖 Kaei kaisei shinsen Kyo ezu
森川, 保之 Morikawa, Yasuyuki 羽賀, 春翠 Haga, Shunsui
多色刷の京都図。刊記に「嘉永五年壬子初春三刻 皇都書林 竹原好兵衛版元」とある。版元は京都図を数多く出版した竹原好兵衛である。他の竹原好兵衛版の京都図は街路が赤い筋で表示されていることが多いが、この図は街区が黄色で表示されている。本資料でも、山々や寺社等の建造物が絵画的に表現され、小路名などが詳細に書き込まれている。
[平安京御繪圖 : 并ニ名所ひとり案内] Heian kyo oezu : narabini meisho hitori annai
川喜多, 真彦 Kawakita, Masahiko 梅川 , 東居 Umekawa, Tokyo
単色刷の京絵図。本体には題が入っていないが、多色刷の袋に「平安京御絵図 并名所ひとり案内」の題がある。図の裏面には「京名所独案内 道法附」があり、清水寺や金閣寺といった京都の名所の紹介文と、それぞれの地点間の距離及び方角が記されている。
京都御繪圖 : 文久新精 Kyoto oezu : Bunkyu shinsei
多色刷の京都図。刊記には「文久二壬戌九月再版 三橋楼書房版」とある。竹原好兵衛が刊行した「文久改正新選京絵図」と配色や収載地域、内匡が同じで、建造物等の描き方も似ているが、同版ではない。
文久改正新選京繪圖 Bunkyu kaisei shinsen Kyo ezu
多色刷の京都図。版元は本資料刊行の前年に「文久改正新増細見京繪圖大全」を刊行した京都の書肆・竹原好兵衛だが、「細見京絵図大全」と比較するとやや小さい。また「細見・・・」が道筋を赤線で示しているのに対して、本資料は街区を黄色に刷り、道筋は白で示されている。
文久改刻繁榮京都御繪圖 : 平野屋版 Bunkyu kaikoku hanei Kyoto oezu : hiranoyaban
四方, 春翠 Yomo, Shunsui
多色刷の京都図。「文久三年癸亥春改正再刻 皇都六角通柳馬塲西入町 御絵図司 翠松園 平野屋茂兵衛版元」の刊記が入り、「図書竝校訂 四方春翠」とある。四方春翠(よもしゅんすい)は版元の平野屋茂兵衛のことで、のちに廃業して銅板絵師となった。
元治改正新増細見京繪圖大全 Genji kaisei shinzo saiken Kyo ezu taizen
多色刷の京都図。刊記には「天保五甲午年開版 文久二壬戌年再刻 文久三癸亥年三刻 京都書林 竹原好兵衞版元」とあるが、表紙の題箋には「元治改正 新増細見京絵図大全」とあり、文久から元治に改元された後に販売されたものであることが分かる。