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:書体の個性に注目し、作品中の文字を切り取って表示しています。作品タイトル単位での表示です。-
懐中手引京繪圖 : 全 カイチュウ テビキ キョウ エズ : ゼン Kaichu tebiki Kyo ezu : zen 再刻
単色刷の京都図。書名に「懐中」とあるとおり、折り畳んで持ち運びしやすい小型絵図である。街区は墨刷で、他の大型絵図にあるような「京の七口」などの情報は掲載されていない。詳細を見る -
京都を三条通で南北に分け、「北山より南三条迄」と「北三条より南伏見迄」の2枚からなる大判の京都図。本資料には寺社名、各藩京都屋敷名や御土居だけではなく、主要寺社の概要(行事、石高等)、各郡の概要、町名が記される。詳細を見る -
選擇傳弘决疑鈔 センチャク デング ケツギショウ Senchaku dengu ketsugisho 鎌倉期写本
浄土宗第三祖然阿良忠(1199-1287)の撰述にかかるもので、『観経疏伝通記』とともに彼の代表的な著作物である。この本館所蔵本は、奥書から良忠没後十三年にあたる永仁七(1299)年に良忠自筆の再治本から書写したもので、佐介御房とあるから悟真寺に伝承した書写本であろう。また良暁本と較べると字体等によりほぼ同時期のものではなかろうか。詳細を見る -
天保2(1831)年に刊行された単色刷の京都図。京都図の中では最大のサイズで、無彩色と彩色刷の二種があるという。京都図や京都の地誌を数多く手がけた池田東籬亭と、書肆の竹原好兵衛が本資料の出版に携わっている。詳細を見る -
選擇本願念佛集 センチャク ホンガン ネンブツシュウ Senchaku hongan nembutsushu 寛永16年版
この本の刊行年である寛永十六(一六三九)年は、知恩院の諸堂が寛永十年に灰燼に帰すという大事故が突発し、御影堂の諸堂復興がはじまる年でもあった。刊行者である雄譽霊巖は、刊記に記すように今流布している本はあまりに字の脱増や誤まりが多いので当麻往生院本(元久本)によって開板したと記している。詳細を見る -
神輿洗は祇園祭の神輿を鴨川の水で清める儀式で、神幸祭に先立つ7月10日(旧暦5月晦日)と還幸祭の後の28日(旧暦6月18日)に行われる。その際に祇園遊郭では芸妓や周辺の町人たちが、流行りの芸能などに取材したさまざまな仮装 […]詳細を見る -
乙寺縁起 キノトデラ エンギ Kinotodera engi 丹鶴叢書:戊申帙
越後国(現在の新潟県)の乙宝寺(おっぽうじ)の由緒を記した絵巻(乙宝寺縁起絵巻)を冊子体の版本として構成しなおした書。絵の部分に彩色はないが、「アサキ」、「ウスヽミ」などの色の指定がある。詳細を見る -
觀經序分義傳通記 カンギョウ ジョブンギ デンズウキ Kangyo jobungi denzuki 觀經疏傳通記
浄土宗第三祖良忠(一一九九-一二八七)撰。善導の観経疏四巻を注釈したもので、玄義分記六巻、序分義記三巻、定善義記三巻、散善義記三巻の計十五巻の書。詳細を見る -
基盛朝臣鷹狩記 モトモリ アソン タカガリキ Motomori ason takagariki 丹鶴叢書:癸丑帙
鷹狩の歴史と故事等をまとめた書。持明院基盛の著作と言われてきたが、少なくとも前三分の二は西園寺実兼の著作であったと考えられている。詳細を見る -
東大寺、唐招堤寺、薬師寺、石山寺その他の多数の全国各地の名刹の所属する古写経、版本大蔵経などからの題跋類を収録したものである。今日ではその所在を佚したものも多く、日本考証学上の貴重な資料として知られる。詳細を見る -
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往生要集義記 オウジョウ ヨウシュウ ギキ Ojo yoshu giki 寛永18年版
浄土宗第三祖良忠撰。源信『往生要集』の注釈書である。『往生要集義記』の伝本には『往生要集鈔』と『往生要集義記』という二種類の表題があり、成立の早い写本・版本には『往生要集鈔』、遅いものには『往生要集義記』の名が付けられている。本書の巻末には「寛永辛巳仲冬日 / 書舎理兵衛刊行」の刊記が入る。詳細を見る -
[天保改正京都指掌圖] テンポウ カイセイ キョウト シショウズ Tempo kaisei Kyoto shishozu
単色刷の京都図。表紙が無いため本来の題は不明だが、当館所蔵の「天保改正京都指掌圖」とほぼ同一の内容・サイズで、刊記も同じである。詳細を見る -
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新増細見京繪圖 : 全 : 文化改正 シンゾウ サイケン キョウ エズ : ゼン : ブンカ カイセイ Shinzo saiken Kyo ezu : zen : Bunka kaisei
多色刷の京絵図である。刊記には「文化八年辛未閏二月御免 同十年酉春正月新刻 京 正栄堂田中吉兵衛板」(書肆の住所は省略)とあり、文化8(1811)年の刊行であることが分かるが、収録範囲や色分け等は、天明3(1783)年に京都の竹原好兵衛が刊行した「天明改正細見京絵図」などと同一の内容となっている。詳細を見る -
三條中山口傳 サンジョウ ナカヤマ クデン Sanjo nakayama kuden 丹鶴叢書:庚戌帙
鎌倉時代の公卿・三条公房が、朝廷の儀式等に関して、その父実房と外舅中山忠親の口伝を記した書。詳細を見る -
新撰京繪圖 シンセン キョウエズ Shinsen Kyo ezu
単色刷の京都図。刊記はなく、「神武天皇より今上皇帝迄歴代百廿二代にして年数凡弐千五百五十九年と成なり」とあることから、明治32(1899)年刊行と読み取れるが、図を見ると「東御奉行」などが存在することから、内容は江戸時代のものであることが分かる。また内裏の配置からは天保期(1830-1843)の図と推測される。詳細を見る -
二色刷の京都図。「嘉永五年壬子九月御免版行」、「京都六角通柳馬場西へ入町 平野屋茂兵衛板」の刊記がある。街区は墨刷りで、山は絵画的に表現されているが、寺社等の建造物の絵は他の絵図と比較すると控えめである。詳細を見る -
選擇本願念佛集 センチャク ホンガン ネンブツシュウ Senchaku hongan nembutsushu 江戸初期版
建久九年、九条兼実の要請に応じて法然が撰述したもので、京都廬山寺に現存する草稿本は、標題「選択本願念仏集」と冒頭「南無阿弥陀仏 往生之業念仏為先」の二十一字が源空自筆と伝えられる(重要文化財)。本書には刊記も年記もないため刊行にかかる確証をうることはできないが、江戸初期あるいはそれ以前の古活字版と推定される。詳細を見る -
江戸の増上寺に伝わる阿弥陀如来像(通称:黒本尊)の縁起。宝暦13(1763)年の写しである。本資料の前半部分の内容は増上寺の寺誌である「三縁山志」(『浄土宗全書』第19巻)所収の「黒本尊 略縁起」とほぼ同じである。ただし「三縁山志」には「略縁起」が全文掲載されていないため、本資料の後半部分はどの程度「略縁起」と一致するか不明である。詳細を見る -
秘密漫荼羅教付法傳 ヒミツ マンダラキョウ フホウデン Himitsu mandarakyo fuhoden
真言宗の開祖、空海の著。密教を伝えた七祖の伝を述べる。全2巻のうち、巻2のみが残る古活字版である。詳細を見る -
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再板改正京繪圖 サイハン カイセイ キョウエズ Saihan kaisei Kyo ezu
単色刷の京都図。刊年は記されていないが、禁裏の南西に「准后御所」ができていることから、宝暦頃(1751-1763)のものと思われる。主要な寺社や山々は絵画的に描かれている。詳細を見る -
觀經玄義分傳通記 カンギョウ ゲンギブン デンズウキ Kangyo gengibun denzuki 觀經疏傳通記
浄土宗第三祖良忠(一一九九-一二八七)撰。善導の観経疏四巻を注釈したもので、玄義分記六巻、序分義記三巻、定善義記三巻、散善義記三巻の計十五巻の書。詳細を見る -
寳永改洛陽洛外之繪圖 ホウエイ アラタメ ラクヨウ ラクガイ ノ エズ Hoei aratame rakuyo rakugai no ezu
単色刷の京都図。一部に手彩色がある。街区は墨刷となっている。図中では「京三十三番廻」や「京ノ七口」が紹介されている。詳細を見る -
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中昔京師地圖 : 皇州緒餘撰部 ナカムカシ ケイシ チズ : コウシュウ ショヨセンブ Nakamukashi keishi chizu : koshu shoyosembu
森幸安が手がけた絵図の写し。応仁元(1467)年から天正期(1573-1591)までの約120年間の京都の状況を考証し、作成された。天正15(1587)年に完成した豊臣秀吉の公邸・聚楽第は本資料には描かれていない。森幸安は数多くの絵図を手がけた人物で、日本全国の絵図を作成しているが、特に京都やその近郊、摂津国(現在の大阪府)の絵図が多く伝わっている。詳細を見る -
京都御繪圖 : 文久新精 キョウト オエズ : ブンキュウ シンセイ Kyoto oezu : Bunkyu shinsei
多色刷の京都図。刊記には「文久二壬戌九月再版 三橋楼書房版」とある。竹原好兵衛が刊行した「文久改正新選京絵図」と配色や収載地域、内匡が同じで、建造物等の描き方も似ているが、同版ではない。詳細を見る -
丹鶴圖譜 調度部 タンカク ズフ チョウドブ Tankaku zufu chodobu 丹鶴叢書:丹鶴外書
宮中行事の際の装束・調度などについて記した平安末期成立の書「類従雑要抄」のうちの調度の部分を印刷刊行したもの。詳細を見る -
觀經散善義傳通記 カンギョウ サンゼンギ デンズウキ Kangyo sanzengi denzuki 觀經疏傳通記
浄土宗第三祖良忠(一一九九-一二八七)撰。善導の観経疏四巻を注釈したもので、玄義分記六巻、序分義記三巻、定善義記三巻、散善義記三巻の計十五巻の書。詳細を見る -
洛陽四十八所地蔵霊場巡禮利生記 ラクヨウ シジュウハッショ ジゾウ レイジョウ ジュンレイ リショウキ Rakuyo shijuhassho jizo reijo junrei rishoki
京都に所在する四十八の地蔵の巡礼案内書である。写本、一巻二冊。本書には、一番の壬生寺・縄目地蔵から四十八番の本覚寺・泥附地蔵まで、洛中の四十八の地蔵(「洛陽四十八所地蔵」)について、その由緒を記し霊元天皇の御詠歌を添える。詳細を見る -
清凉寺縁起繪詞 セイリョウジ エンギ エコトバ Seiryoji engi ekotoba
京都嵯峨清凉寺の釈迦如来像の由来を記す絵巻。「釈迦堂縁起」ともいう。原本は清凉寺所蔵で、永正12年(1515)頃の成立。原本の詞書は青蓮院尊応准后(1432-1514)、絵は狩野元信筆とされるが、詞書の筆者は年代的に矛盾する。原本、本絵巻とも全6巻のうち第6巻は詞書のみで絵はない。詳細を見る -
蒙古襲来繪詞 モウコ シュウライ エ コトバ Moko shurai e kotoba 丹鶴叢書:己酉帙
肥後国の御家人・竹崎季長が文永・弘安の役における自分の戦功を描かせた絵巻を、冊子体の版本とした書。絵の部分に彩色はないが、「アサキ」、「朱」などの色の指定がある。詳細を見る -
銅版多色刷の京都図。街区は色分けされ、漢数字で番号が振られているが、これは町組の番号である。各組には小学校が設置された。図の下には各組に設置された小学校の一覧がある。図中では鉄道駅・病院等の公共施設や寺社、船等が絵画的に表現され、桜や桃の木が描かれている。詳細を見る -
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黒谷聖人傳繪詞 クロダニ ショウニンデン エコトバ Kurodani shoninden ekotoba
本書は知恩院蔵国宝の「法然上人行状畫図」四十八巻の詞書を片仮名交りに印成したものである。表題と本文題は「黒谷聖人伝絵詞」であるが、内題のみ「本朝祖師絵師」とある。本書は浄土教古活字版のなか片仮名の活字版として特色のあるものである。詳細を見る -
古今都細見之圖 : 全 ココン ミヤコ サイケン ノ ズ : ゼン Kokon miyako saiken no zu : zen
旧平安京条坊図の上に両面刷別紙図(洛中および千本通以西の畑地等)を重ねて糸綴じし、古今を対照した絵図。文久3(1863)年に開通した西高瀬川に関する記載(「西高瀬新川筋」など)があることから、文久3年以降に刊行されたものと考えられる。詳細を見る -
金谷道人御一代記 キンコク ドウジン ゴイチダイキ Kinkoku dojin goichidaiki
江戸中期から後期の僧・横井金谷(1761-1832)が自らの半生を綴った絵巻。全7巻。横井金谷は、京都金谷山極楽寺の住職であった。現在伝わる「金谷上人御一代記」の写本は、冊子本の体裁であるものも多いというが、本学所蔵のものは巻子本で、各巻頭に「金谷」「大寶主人」印がある。詳細を見る -
淨花院霊寳縁起 ジョウケイン レイホウ エンギ Jokein reiho engi
浄土宗七大本山の一つ、清浄華院(しょうじょうけいん)の宝物の由来を記した資料。長禄3年(1459)、良秀の奥書があるが、自筆本ではなく、写本と考えられる。清浄華院に残る葉室頼業筆「浄華院由記」(正保3年[1646])には、本書に類似する内容が含まれるが、そちらは漢文で書かれている。詳細を見る -
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十六羅漢圖贊集 ジュウロク ラカンズ サンシュウ Juroku rakanzu sanshu
増上寺関連の漢詩を集録した『緑山詩叢』を徹定が刊行したのは、嘉永三(一八五〇)年秋である。三十七歳の徹定は、増上寺新谷学寮にあって後進を薫育していた。『十六羅漢図贊輯録』の編纂を終えたのもこの年であり、徹定のひたむきな研鑚の日々を知ることができる。詳細を見る -
平安中期の公卿・藤原資房の日記。春宮権大夫の一字をとって「春記」と呼ばれている。戊申帙の「春記」には長暦2年10-12月、長暦3年10-閏12月、長暦4年4-6月、9月、11月、長久2(1041)年3月の記事を収録している。詳細を見る -
承久兵乱記 ジョウキュウ ヘイランキ Jokyu heiranki
承久3(1221)年に起こった承久の乱の顛末を記した軍記物語である。「承久記」ともいう。「承久記」は作者・成立年代とも未詳だが、慈光寺本が最も古態を残していると言われ、その後流布本が成立し、それを抄出したものが前田家本であると見られている。本資料はその前田家本の系統であり、元和年間(1615~1623)の書写であると考えられている。詳細を見る -
元治改正京名所道の枝折圖 ゲンジ カイセイ ミヤコ メイショ ミチ ノ シオリ ノ ズ Genji kaisei miyako meisho michi no shiori no zu
元治元(1864)年、京都の小川多右衛門等によって刊行された京都図。図中には「宮御門跡方」、「公武御屋敷方」、「神社」、「寺院」などが色分けで表示され、主要な寺社名や各藩の京都屋敷の所在地が書き込まれている。裏面では神社仏閣の紹介文を掲載すると共に、三条大橋を出発地として各地を六日間でまわる順路を示している。詳細を見る -
長澤庄兵衛、上村四郎兵衛等により享保10(1725)年に出版された京都図。単色刷であるが、一部に手彩色がある。街区は墨刷で、各藩の京都屋敷や寺社名などの表示はあるが、他の京大絵図と比較すると情報量は少ない。絵図の下部に「花洛神社仏閣の享保十巳ノ年迄年数」を掲載している。詳細を見る -
大坂夏御陣之図 オオサカ ナツ ゴジン ノ ズ Osaka natsu gojin no zu
大坂の陣(大坂冬の陣、夏の陣)は、徳川氏が豊臣氏を二度にわたって攻め滅ぼした戦い。本絵図はこのうち慶長20(元和元〈1615〉)年の大坂夏の陣の配陣を描いている。詳細を見る -
京圖鑑綱目 : 名所手引 キョウ ズカン コウモク : メイショ テビキ Kyo zukan komoku : meisho tebiki
表面に京都図、裏面に「名所手引案内」を収録する。宝暦4(1754)年、菊屋長兵衛等により刊行された。図中には寺社名、各藩京都屋敷名や通り名、御土居等を掲載する他、「三条大橋より道のり附」があり、三条大橋から「禁中様」、「金かく寺」、「知恩院」などへの距離が記されている。詳細を見る -
京圖名所鑑 : 改正两面 キョウズ メイショ カガミ : カイセイ リョウメン Kyozu meisho kagami : kaisei ryomen
本資料は安永7(1778)年に京都の菊屋長兵衛により出版された京都図である。裏面に京都の神社仏閣などの名所の案内記がある。両面とも単色刷である。街区は墨刷ではなく白抜きとなっている。他の京絵図と同様、寺社名、各藩の京都屋敷の所在地、御土居等を記す。詳細を見る -
文久改刻繁榮京都御繪圖 : 平野屋版 ブンキュウ カイコク ハンエイ キョウト オエズ : ヒラノヤバン Bunkyu kaikoku hanei Kyoto oezu : hiranoyaban
多色刷の京都図。「文久三年癸亥春改正再刻 皇都六角通柳馬塲西入町 御絵図司 翠松園 平野屋茂兵衛版元」の刊記が入り、「図書竝校訂 四方春翠」とある。四方春翠(よもしゅんすい)は版元の平野屋茂兵衛のことで、のちに廃業して銅板絵師となった。詳細を見る -
明治京都指掌之圖 メイジ キョウト シショウ ノ ズ Meiji Kyoto shisho no zu
木版多色刷の京都図。街区は色分けされ、漢数字で番号が振られているが、これは町組の番号である。各組には小学校が設置された。図の下には各組に設置された小学校の一覧がある。詳細を見る -
改正分間新撰京繪圖 カイセイ ブンケン シンセン キョウエズ Kaisei bunken shinsen Kyoezu
両面単色刷の京都図。表面には京都の詳細な絵図を、裏面には「京三条大橋ヨリ方角道法」、「親戚九族図」、「京都縦横町小路 並異名」、「不成就日」など、旅行や神仏参詣の際に有益な情報が掲載されている。詳細を見る -
本資料は林吉永により出版された京都図である。本資料は他の京都図と同様、寺社名、各藩京都屋敷名、御土居等を掲載する他、「洛陽七口」、「同間之近道」、「諸方へ道ノ法リ」、知恩院や黒谷等大寺院の末寺の数など地誌的な情報も掲載されている。詳細を見る -
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京都名所圖會 キョウト メイショ ズエ Kyoto meisho zue 再刻
銅版色刷の京都図。道路はほとんど描かれておらず、主に寺社や施設の絵で構成されている。また主要な名所には解説文が付けられている。ほかにも京都の名産品を列挙した「産物大略表」や「三条大橋より名所里程」を掲載し、地図というよりは名所案内の性格を持った資料である。詳細を見る -
千とせのためし チトセ ノ タメシ Chitose no tameshi 丹鶴叢書:丹鶴外書
和歌山藩の付家老で新宮城主、「丹鶴叢書」の編纂者でもある水野忠央が編纂した古筆・古美術品等の図録。詳細を見る -
[懐寳京繪圖] カイホウ キョウ エズ Kaiho Kyo ezu
「懐宝京絵図」とほぼ同じ内容の京都図で、刊記も同一のものが入っているが、赤で刷られた道筋は細かい相違が見られる。また本資料には五山の舟形と妙法が赤で刷られているが、「懐宝京絵図」の方にはそれが見られない。詳細を見る -
三國佛法傳通縁起 サンゴク ブッポウ デンズウ エンギ Sangoku buppo denzu engi
東大寺の凝然による、インド、中国、日本の三国における仏法伝通について述べた書。応長元(1311)年成立。詳細を見る -
四分律比丘含注戒本 シブンリツ ビク ガンチュウ カイホン si fen lu bi qiu han zhu jie ben Shibunritsu biku ganchu kaihon
唐代の僧・道宣撰。江戸前期の古活字版。『江戸時代初期出版年表』によると、『四分律比丘含注戒本』、『四分律比丘含注戒本疏』、『四分律刪補羯磨』、『四分律刪補羯磨疏』、『四分律刪補羯磨疏済縁起』の五種は、「同種活字、同装、同時刊か」とされている。詳細を見る -
資料中に書名が入っていないため、資料名は仮名である。多色刷で、凡例はないが寺院は濃い赤、神社や公家屋敷は薄い赤、武家屋敷は緑などと色分けされている。枠外には「文化七年庚午新改正 京都寺町通四条下ル弐丁目 菊屋長兵衛蔵板」とある。菊屋長兵衛は本資料の他にも京都図を数多く出版している。詳細を見る