太宰治著『逆行』(37-3)

 先月15日に、第140回芥川賞、直木賞が発表され、芥川賞は津村記久子さんの『ポトスライムの舟』、直木賞には、天童荒太さんの『悼む人』と、山本兼一さんの『利休にたずねよ』の2作が選ばれました。

 芥川賞は、作家・芥川龍之介の名を記念した純文学の新人賞(正式名称は芥川龍之介賞)、直木賞は、作家・直木三十五(さんじゅうご)の名を記念した大衆文学の新人賞(正式名称は直木三十五賞)です。芥川賞、直木賞とも、両人の友人、作家・菊池寛の発案で1935年(昭和10)に発足、今日に至っています。両賞は、「新進作家の登竜門」として創設された小説賞です。ちなみに、現在設けられている文学賞は公募、非公募、マイナーなものも含めると、「500」はあると言われています。

 さて、この芥川賞の第1回候補作に挙げられながら受賞しなかった、今年生誕100年を迎える作家は誰でしょうか。

 正解は太宰治です。

 太宰治(本名津島修治)は、1909(明治42)年、青森県生まれ。東京帝国大学仏文科入学後は、高校時代より関心のあった、非合法運動に参加しますが、1932(昭和7)年に離脱しています。在学中は、井伏鱒二(1898―1993)に師事し、同人誌に次々と作品を発表し、1935(昭和10)年、太宰が26歳の時、「文藝」に発表した短編『逆行』(「蝶蝶」「盗賊」「決闘」「くろんぼ」の4篇をまとめたもの。芥川賞候補作となったことで、太宰の文壇出世の大きな足がかりとなった)が第1回芥川賞候補となりましたが、次席でした。また、この年、太宰は大学を中退しました。翌年、初の創作集『晩年』(「逆行」収録)を刊行しました。その後、薬物中毒、自殺未遂、心中未遂をおこした太宰を心配した井伏より縁談が持ち込まれて結婚。平穏な生活をえた太宰は、『富嶽百景』『走れメロス』などの好短編を発表。戦後、『斜陽』がベストセラーとなりました。しかし、『人間失格』の執筆完成後の翌月、1948(昭和23)年6月、太宰は『斜陽』執筆中に出会ったといわれる女性と玉川上水で入水自殺を図り、39年間の破壊と混乱の生涯を閉じました。

 なお、先月出版された佐伯一麦著『芥川賞を取らなかった名作たち』(朝日新書)では、『逆行』について再検証しています。同氏が「受賞作に負けない名作」と紹介する、『逆行』を含む11作品と、『芥川賞全集』の受賞作を、この機会に読んでみてはいかがでしょうか。

 また、当館では今年夏に、太宰治ほか生誕100年となる著名作家の主要著作、関連書籍を展示し、貸出も行う予定です。ご期待ください。