前号『輪蔵だより』No.10にて日本の図書館をご紹介するなかで、ここ紫野に「紙屋院(かみやのいん、しおくいん、かんやのいん)」という官立の製紙工場があったことを述べました。
大宝律令制定以来「図書寮」(ずしょりょう.現在の宮内庁書陵部)のなかに設置された「造紙所」が平安遷都によって京都に越してきて、さらに「延喜式」 によって、これまでの「造紙所」にかわって図書寮に付属の「紙屋院」が置かれることになったのです。「紙屋院」は役所の下部組織であるとともに、製紙工場でもあり、紙漉き技術者を指導・養成する学校でもありました。
ここで漉かれた紙は「紙屋紙」とよばれますが、いったいどんな紙が漉かれていたのでしょうか? インターネットを介した電子ジャーナルや電子図書など、読書の媒体はいまやひととおりではありませんが、今回は古くからの媒体である「紙」についてお話ししましょう。
紙以前の記録媒体には綿布、樹皮、木葉(貝多羅葉)、金属、石、陶器、瓦、甲骨、絹帛、簡牘(これらの短冊を紐で編んだ策、冊)、封泥、岩、粘土、パピルス、獣皮紙(羊皮、山羊皮、子牛皮)、蝋板など人類は工夫をしてきました。製紙法は紀元105年頃中国の蔡倫によって考案されたと言われますが、それより以前に麻を含むボロ布の廃物利用によって作られていたと考えられています。
「紙」という文字に糸偏を使うのはこのボロ布から出た糸くずに由来しているといわれています。日本においても紙以外の記録媒体として竹簡、木簡、絹布などさまざま残っていますが、書籍・図書としての文字の記録は基本的には「紙」に漢字で書かれた中国や朝鮮半島の仏教書の伝来にはじまると考えられます。「紙」は製品化された状態で大陸から将来されたものですから、当初は中国の紙と同様、麻を含む紙(麻紙)であったと考えられます。日本で生産されるようになれば、原材料もまた日本の風土の中で生産されるものが使用されるようになりました。
和紙の種類は多種多様ですが、原材料に由来する名(「楮紙」「雁皮紙」「三椏紙」など)、生産地に由来する名(「美濃和紙」「土佐和紙」「越前和紙」「出雲和紙」「因州和紙」など)、用途に由来する名(「奉書紙」「宣旨紙」など)等があります。それらのうち代表的なものをご紹介しましょう。
“原材料に由来する名称”
【楮紙(ちょし)】
「楮」は桑科コウゾ属の植物です。その靱皮繊維を原料とする「楮紙」は和紙の中ではもっとも一般的であり、現在ももっとも多く生産されています。
【雁皮紙(がんぴし)】
「雁皮」は沈丁花科ガンピ属の植物です。その靱皮繊維を原料とする「雁皮紙」は丈夫かつすべらかで墨ののりがよいわりに滲みにくく、「斐紙」とも呼ばれます。「斐」とは「美しい」の意です。紙の厚みによって「厚様(あつよう)」、「薄様(うすよう)」等に区分します。「厚様」は「鳥子(とりのこ)紙」ともいい、厚手で、少し黄みを帯びた鶏卵の殻の色(オフホワイト)をしているものを、「薄様」は透けて見えるほどに薄く漉きあげたものを指します。
【三椏紙(みつまたがみ)】
「三椏」は沈丁花科ミツマタ属の栽培も可能な落葉低木です。その靱皮繊維を原料とした「三椏紙」は色が白く、表面もすべらかであるため、よく使用されました。強度を増すために楮と混ぜて漉かれるようになりました。紙幣にも活用されています。
“生産地(地名)、生産場所に由来する名称”
和紙の生産地は日本全国に広がっています。現代でも和紙の産地をもたない都道府県はないといってよいでしょう。
美濃和紙、土佐和紙、越前和紙、出雲和紙、因州和紙と数えればきりがないほどですが、私たちの住む京都府内にも和紙の産地があることをご存知でしょうか。綾部市黒谷町の黒谷和紙、加佐郡大江町(現・福知山市)の丹後和紙です。黒谷和紙、丹後和紙ともに楮紙の産地として有名です。
ここ紫野にあったという「紙屋院」で漉かれる紙は「紙屋紙(かみやがみ)」といわれました。「紙屋院」では普通の紙とともに反故紙によるリサイクル再生紙も生産されました。一度使った紙には墨が含まれています。今日のように真っ白に漂白する技術はありませんでしたので、再生紙はかなり黒っぽくなります。漉き返して作ったそれを「宿紙(しゅくし、すくし)」とよび、やがて「紙屋紙」といえば、「宿紙」を指すようになりました。
官立工場で生産される紙は当然ながらお役所関係の用紙として使用されます。宣旨をしたためる用紙としてよく使われたところから、「紙屋紙」=「宿紙」=「宣旨紙」とも呼ばれるようになりました。
“用途に由来する名称”
【宣旨紙(せんじがみ)】
勅旨を伝える宣旨に用いられた紙。宣旨には紙屋院で再生されたリサイクル紙「宿紙」がよく使われました。
【奉書紙(ほうしょがみ)】
上意下達のための文書に用いられた紙。厚手で毛羽立った表面の紙のため、書籍に用いられることはほとんどありません。中世以降の産地は越前が大半を占め、現在でも越前奉書として生産されています。
(C.F.)