アメリカ文学には中学校・高等学校の国語や英語の教科書で触れる機会が多くあり、また、私の映画好きも手伝って、ポー、メルヴィル、トウェイン、オー・ヘンリー、へミングウェー、ミッチェルなどの作品を愛読しましたが、なぜか私が最も心惹かれた作家がナサニエル・ホーソーン(1804-1864)でした。最初、彼の短編集『七人の風来坊他4篇』(福原麟太郎訳、岩波文庫)を読んで魅了され、次に読んだのが彼の代表作『緋文字』でした。
『緋文字』は1850年、ホーソーン45歳のときに書かれた初めての長編小説です。作品の舞台となったのは、彼の生まれ故郷マサチューセッツ州セイラムで、厳格な清教徒(ピューリタン)精神が色濃く残る古く、小さな町です。1642年の、とある夏の日の朝のこと、獄舎の扉が開かれ、腕に生後3月ほどの赤子を抱いたヘスター・プリンが出てきます。上着の胸にはAという緋文字が見えます。AはAdultery(姦通)の頭文字です。へスターはアムステルダムに住むプリンという学者の妻で、夫より先にアメリカに来ましたが、2年経っても夫から音沙汰がなく、その間に身を誤り、パールを生んだのです。本来なら死刑ですが、判事たちの慈悲で、獄舎の前の広場のさらし台に3時間立たせるだけにし、あとは生涯、胸にAという「恥のしるし」を着用すべしと裁定されたのです。彼女は衆人環視のなかでさらし台に立ち、姦通の相手の名を言うように迫られますが、断固、拒否します。
神経の異常に高ぶったヘスターのために、医者が呼ばれますが、その医者こそ彼女の夫で、ロジャー・チリングワースを名乗って町に住んでいたのです。彼は怒りに燃え、姦通の相手を探し出し、復讐を誓います。このころ、その学識と雄弁と高潔な人格で慕われていた若きディムズデール牧師の健康が衰え始めます。ロジャー・チリングワースは牧師の主治医となり、牧師と同居します。ある真昼、牧師が読書中、深い眠りに陥っているとき、医者が部屋に入ってきて、牧師の胸を覆っていた衣服を開き、「歓喜と恐怖」の入り混じった表情で立ちすくみ、やがて立ち去ります。この牧師こそ復讐の相手だと分かったのです。
牧師は良心の呵責に耐えかね、ひどくやつれていくなかで、へスターに森の小道で出会います。7年ぶりの再会です。へスターは、彼の医者が自分の夫であったことを告白し、牧師は驚き、彼を避ける手立てはあるかと尋ねます。彼女は逃亡を勧めますが、牧師は「そんなことはできない!」「ひとりでは」と躊躇します。それに対して、へスターは「あなたおひとりで行かせはしません!」と答え、ブリストル行きの船を予約します。しかし、その出発の日、新総督の就任祝賀説教を終えた牧師はへスターとパールとともにさらし台に立ち、自らの罪を告白して亡くなってしまいます。目撃者の多くは牧師の胸には、へスターと同じ緋文字が刻まれているのを見たと断言しました。チリングワースも1年以内に死に、遺産をパールに贈ります。へスターはパールとともにいったん姿を消しますが、またひとりでこの町に戻ってきて、できるかぎりの善行に励み、「緋文字は世間の嘲笑と顰蹙(ひんしゅく)を買う烙印であることをやめ、悲しむべき何かの象徴になり、畏怖をおぼえながらも尊敬をもって眺めるべき象徴となりおおせた」(八木敏雄訳、岩波文庫)のです。
私には学生時代、罪や悪の問題について真剣に考えた時期があり、へスターとディムズデール牧師とともに苦しみ悩んだことがその後の貴重な糧になったとつくづく思います
<紹介図書>
『緋文字』
ホーソーン著・八木敏雄訳 岩波書店 1992.12
請求記号080∥イナフ∥304;1