デジタルコレクションに「大坂冬御陣図」「大坂夏御陣之図」を追加しました。
大坂冬御陣図
慶長19(1614)年の大坂冬の陣の配陣を描いた絵図。太田正順氏により書写・収集された絵図コレクションのうちの一つで、「太田家庫」の印がある。
大坂の陣(大坂冬の陣、夏の陣)は、徳川氏が豊臣氏を二度にわたって攻め滅ぼした戦い。慶長5年の関ヶ原の戦いに勝利し、天下人としての地位を得た徳川家康は、いわゆる方広寺鐘銘事件をきっかけに大坂の豊臣氏と対立を深め、慶長19年10月、各国諸大名に出陣を命じた。豊臣方は10万、徳川方は20万の軍勢であったといわれるが、大坂城の守りは堅く、12月にはいったん和睦した(大坂冬の陣)。
本絵図には大坂城を中心に、両軍の軍勢が記されている。また主戦場等の地名は黄色の楕円で、主要な道路は朱線で示されている。
大坂夏御陣之図
太田正順氏により書写・収集された絵図コレクションのうちの一つで、「太田家庫」の印がある。
大坂の陣(大坂冬の陣、夏の陣)は、徳川氏が豊臣氏を二度にわたって攻め滅ぼした戦い。本絵図はこのうち慶長20(元和元〈1615〉)年の大坂夏の陣の配陣を描いている。
図中の軍勢のうち、赤が豊臣方、黒が徳川方を表している。黄色の楕円や緑色の長方形で記されているのは地名である。また、所々に戦の経過を文章で記し、主要な軍の幟旗や馬印が描かれる。
岡山藩主池田家旧蔵の岡山大学池田家文庫には、大坂の陣(冬の陣・夏の陣)に関する絵図が数点収蔵されているが、このうちの「大坂夏御陣図」(T12-16)は、図の掲載範囲や幟旗の描き方などにおいて本資料と類似する。ただし、図中の文章については池田家文庫本と本資料とで異なる部分も多い。