デジタルコレクションに「浄土略名目圖見聞」「三縁(ゑん)山増上寺黒本尊阿弥陀如来御縁起」「選擇傳弘決疑鈔 寛永期 古活字版」「釋浄土二藏義 本泉寺旧蔵本」「觀經玄義分傳通記見聞」「觀經序分義傳通記見聞」「觀經定善義傳通記見聞」「觀經散善義傳通記見聞」を追加しました。
浄土略名目圖見聞
浄土宗第七祖の聖冏(しょうけい)の著。古活字版。「三柳居 杦浦氏藏書記」の印(印主:杉浦丘園)がある。本資料には「寛永四年丁卯暦十二月中旬」の刊記があるが、国立国会図書館の『浄土略名目圖見聞』にはこの刊記はなく、「慶長十八年甲丑暦六條西寺内開之」の刊記が入る。ただし本資料と国立国会図書館本は同種活字異植版と見られる(『増補 古活字版之研究』)ことから、慶長十八年の刊記は「何者かの悪戯なること瞭然たり」(『浄土教古活字版目録』)とされている。
参考文献 川瀬一馬『増補 古活字版之研究』 藤堂祐範『浄土教古活字版目録』
三縁(ゑん)山増上寺黒本尊阿弥陀如来御縁起
江戸の増上寺に伝わる阿弥陀如来像(通称:黒本尊)の縁起。宝暦13(1763)年の写しである。黒本尊については、中村仏庵が執筆した「黒本尊縁起」(国立国会図書館蔵)や、中村仏庵の文章に鍬形蕙斎の絵を加えた絵巻物「黒本尊縁起絵巻」(ニューヨーク公共図書館蔵)、幕末に刊行された『重修黒本尊縁起』がある。本資料の前半部分の内容は増上寺の寺誌である「三縁山志」(『浄土宗全書』第19巻)所収の「黒本尊 略縁起」とほぼ同じである。ただし「三縁山志」には「略縁起」が全文掲載されていないため、本資料の後半部分はどの程度「略縁起」と一致するか不明である。
参考文献 鈴木淳「鍬形蕙斎画『黒本尊縁起絵巻』の考察」(『絵が物語る日本 ニューヨーク スペンサー・コレクションを訪ねて』三弥井書店、2014年)
選擇傳弘決疑鈔 寛永期 古活字版
浄土宗第三祖の良忠による『選択集』の注釈書。古活字版。「選擇傳弘決疑鈔」の古活字版は『浄土教古活字版図録』によれば慶長14(1609)年版、慶長19(1614)年版、無刊記本があるが、これらはいずれも本資料と異なる活字を用いている。
3巻に「西都東山知恩院」、「堺縣下河内国石川郡富田林 西方寺徒弟 田中原方所持」の墨書がある。
釋浄土二藏義 本泉寺旧蔵本
「釈浄土二蔵義」は、法然上人依頼の浄土宗義を集大成した書で、浄土宗第七祖の聖冏(1341-1420)の著。慶長14(1609)年、慶長17(1612)年、寛永期の活字版が知られている。本書には刊記がなく正確な刊年は不明であるが、本資料と同版と推測される光慶寺旧蔵本には「于時寛永第五辰季」などと墨書があることから、寛永5年以前の刊行と考えられる。また本資料の各巻頭には「本泉寺」「圓徳寺藏書印」の印があることから、もとは本泉寺、圓徳寺で所蔵されていたことが分かる。
参考文献 藤堂祐範編『浄土教古活字版圖録』
觀經玄義分傳通記見聞
良忠『觀經玄義分傳通記』の注釈書である。享保14(1729)年、木活字により印刷されている。
江戸時代、木版印刷が広く行われるようになると、活字印刷は衰退したが、必要がある場合、少部数を木活字で印刷することがあった。江戸の増上寺では、享保年間に木活字を新調し、享保12年から17年までの5年間で7部32巻を活字印刷したという。本書の各巻には「享保十四己酉年七月九日謹摺冩/活字施板 三縁山袋谷方國」といった刊記が入る(日付は巻により異なる)。
参考文献 藤堂祐範『浄土教古活字版圖録』
觀經序分義傳通記見聞
良忠『觀經序分義傳通記』の注釈書である。享保15(1730)年から翌年にかけ、木活字により印刷されている。
江戸時代、木版印刷が広く行われるようになると、活字印刷は衰退したが、必要がある場合、少部数を木活字で印刷することがあった。江戸の増上寺では、享保年間に木活字を新調し、享保12年から17年までの5年間で7部32巻を活字印刷したという。本書の各巻には「享保十五庚戌年四月十八日謹摺冩/活字施板 三縁山袋谷方國」などといった刊記が入る(日付や文言は巻により異なる)。
参考文献 藤堂祐範『浄土教古活字版圖録』
觀經定善義傳通記見聞
良忠『觀經定善義傳通記』の注釈書である。享保16(1731)年、木活字により印刷されている。
江戸時代、木版印刷が広く行われるようになると、活字印刷は衰退したが、必要がある場合、少部数を木活字で印刷することがあった。江戸の増上寺では、享保年間に木活字を新調し、享保12年から17年までの5年間で7部32巻を活字印刷したという。本書の各巻には「享保十六辛亥年七月二十九日謹冩/三縁山 活字」といった刊記が入る(日付は巻により異なる)。
参考文献 藤堂祐範『浄土教古活字版圖録』
觀經散善義傳通記見聞
良忠『觀經散善義傳通記』の注釈書である。享保16(1731)年、木活字により印刷されている。
江戸時代、木版印刷が広く行われるようになると、活字印刷は衰退したが、必要がある場合、少部数を木活字で印刷することがあった。江戸の増上寺では、享保年間に木活字を新調し、享保12年から17年までの5年間で7部32巻を活字印刷したという。本書の各巻には「享保十六辛亥年十一月二十日謹冩/三縁山 活字」といった刊記が入る(日付は巻により異なる)。
参考文献 藤堂祐範『浄土教古活字版圖録』