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:書体の個性に注目し、作品中の文字を切り取って表示しています。作品タイトル単位での表示です。-
觀經玄義分傳通記見聞 カンギョウ ゲンギブン デンズウキ ケンモン Kangyo gengibun denzuki kemmon 傳通記見聞
良忠『觀經玄義分傳通記』の注釈書である。享保14(1729)年、木活字により印刷されている。詳細を見る -
京都を三条通で南北に分け、「北山より南三条迄」と「北三条より南伏見迄」の2枚からなる大判の京都図。本資料には寺社名、各藩京都屋敷名や御土居だけではなく、主要寺社の概要(行事、石高等)、各郡の概要、町名が記される。詳細を見る
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丹鶴圖譜 調度部 タンカク ズフ チョウドブ Tankaku zufu chodobu 丹鶴叢書:丹鶴外書
宮中行事の際の装束・調度などについて記した平安末期成立の書「類従雑要抄」のうちの調度の部分を印刷刊行したもの。詳細を見る -
選擇本願念佛集 センチャク ホンガン ネンブツシュウ Senchaku hongan nembutsushu 寛永16年版
この本の刊行年である寛永十六(一六三九)年は、知恩院の諸堂が寛永十年に灰燼に帰すという大事故が突発し、御影堂の諸堂復興がはじまる年でもあった。刊行者である雄譽霊巖は、刊記に記すように今流布している本はあまりに字の脱増や誤まりが多いので当麻往生院本(元久本)によって開板したと記している。詳細を見る -
江戸の増上寺に伝わる阿弥陀如来像(通称:黒本尊)の縁起。宝暦13(1763)年の写しである。本資料の前半部分の内容は増上寺の寺誌である「三縁山志」(『浄土宗全書』第19巻)所収の「黒本尊 略縁起」とほぼ同じである。ただし「三縁山志」には「略縁起」が全文掲載されていないため、本資料の後半部分はどの程度「略縁起」と一致するか不明である。詳細を見る
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宋代の道誠によって編さんされた、仏教語彙集。古活字版。『釋氏要覽』の古活字版には、慶長より前に刊行された五山版(無刊記)と、慶長から元和年間(1596~1623)に刊行された無刊記版の2種あり、本資料は後者にあたると考えられる。詳細を見る
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「無量壽經」「觀無量壽經」「行基菩薩謡語」「空也上人法語」「恵心僧都法語」「源空上人一枚起請文」「稱念上人法語」ほかの仏典、假名法語等を抜粋して書写した本。タイトルごとに書体を変えて書写されている。詳細を見る
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三條中山口傳 サンジョウ ナカヤマ クデン Sanjo nakayama kuden 丹鶴叢書:庚戌帙
鎌倉時代の公卿・三条公房が、朝廷の儀式等に関して、その父実房と外舅中山忠親の口伝を記した書。詳細を見る -
選擇傳弘决疑鈔 センチャク デング ケツギショウ Senchaku dengu ketsugisho 寛永期 古活字版
浄土宗第三祖の良忠による『選択集』の注釈書。古活字版。「選擇傳弘決疑鈔」の古活字版は『浄土教古活字版図録』によれば慶長14(1609)年版、慶長19(1614)年版、無刊記本があるが、これらはいずれも本資料と異なる活字を用いている。詳細を見る -
大藏一覽集 ダイゾウ イチランシュウ da zang yi lan ji Daizo ichiranshu
宋の陳実編の仏教書である。日本では応永期の五山版や、古活字版二種、近世期の木版などが刊行されている。本書は古活字版で、江戸初期刊行と推測される。蔵書印はないが、各巻末に「宥範求之」と墨書がある。詳細を見る -
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往生要集義記 オウジョウ ヨウシュウ ギキ Ojo yoshu giki 寛永18年版
浄土宗第三祖良忠撰。源信『往生要集』の注釈書である。『往生要集義記』の伝本には『往生要集鈔』と『往生要集義記』という二種類の表題があり、成立の早い写本・版本には『往生要集鈔』、遅いものには『往生要集義記』の名が付けられている。本書の巻末には「寛永辛巳仲冬日 / 書舎理兵衛刊行」の刊記が入る。詳細を見る -
都名所百景 前半 ミヤコ メイショ ヒャッケイ ゼンハン Miyako meisho hyakkei zenhan
『都名所百景』は、江戸時代後期に梅川東居、歌川北水ら5人の絵師が手がけ、大阪の版元石和により刊行された彩色木版画です。幕末の京都・洛中洛外における名所100景を網羅しています。詳細を見る -
文久改正新選京繪圖 ブンキュウ カイセイ シンセン キョウ エズ Bunkyu kaisei shinsen Kyo ezu
多色刷の京都図。版元は本資料刊行の前年に「文久改正新増細見京繪圖大全」を刊行した京都の書肆・竹原好兵衛だが、「細見京絵図大全」と比較するとやや小さい。また「細見・・・」が道筋を赤線で示しているのに対して、本資料は街区を黄色に刷り、道筋は白で示されている。詳細を見る -
中昔京師地圖 : 皇州緒餘撰部 ナカムカシ ケイシ チズ : コウシュウ ショヨセンブ Nakamukashi keishi chizu : koshu shoyosembu
森幸安が手がけた絵図の写し。応仁元(1467)年から天正期(1573-1591)までの約120年間の京都の状況を考証し、作成された。森幸安の「皇州緒餘撰部」は、寛延から宝暦年間(1748-1763)に作成されている。この中には本資料のように往古の京都の姿を描いたものもあれば、作成年代当時の姿を描いた絵図もある。詳細を見る -
麒麟論私釋 キリンロン シシャク Kirinron shishaku
良定(1552-1639)の著。良定(袋中)は江戸前期の浄土宗の僧で、慶長8(1603)年、明に渡ろうとして琉球に漂着し、尚寧王の帰依をうけて桂林寺を開いた。本資料は良定没後の寛永21(1643)年に京都の書肆村上平楽寺から刊行されている。詳細を見る -
本資料は北辺を欠き、資料名も記されていない。また、刊記がなく、出版者や出版年も不明であるが、図の左下に「印付」(凡例)があり、「元禄又ハ宝永此かた享保ニいたりできたる新地」という記述があることから、本資料は少なくとも享保(1716-1735)以後の成立であることが分かる。詳細を見る
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觀經序分義傳通記見聞 カンギョウ ジョブンギ デンズウキ ケンモン Kangyo jobungi denzuki kemmon 傳通記見聞
良忠『觀經散善義傳通記』の注釈書である。享保16(1731)年、木活字により印刷されている。詳細を見る -
太田正順氏により書写・収集された絵図コレクションのうちの一つで、「太田家庫」の印と、「明治三十五壬寅年三月写 太田正順」の墨書がある。本資料に描かれている「関ヶ原御合戦」とは慶長5(1600)年の関ヶ原の戦のことで、徳川家康率いる東軍と、石田三成率いる西軍が美濃(濃州)の関ヶ原で行った合戦である。本資料は明治35(1902)年の写であるが、徳川家康の陣を「御本陣」としていることから、原本は江戸時代に作成されたものと考えられる。詳細を見る
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觀經散善義傳通記見聞 カンギョウ サンゼンギ デンズウキ ケンモン Kangyo sanzengi denzuki kemmon 傳通記見聞
良忠『觀經散善義傳通記』の注釈書である。享保16(1731)年、木活字により印刷されている。詳細を見る -
「前川五郎左衛門家文書」は、京都六角本能寺町に居を構えた前川五郎左衛門家に由来をもつ文書群です。前川家は、両替商をはじめ京都御用米会所貸付方や禁裏御香水役など、近世京都において多彩な活動に従事しました。本文書群は、こうした活動を伝える文書類を中心に、約3万点の資料から構成されています。詳細を見る
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多色刷の京都図。本体に題は記されていない。内容は「案見京都細図」(天保14[1843]年刊)に似るが、幕末に設置された京都守護職屋敷や薩摩藩邸(相国寺南)などが見られるため、幕末期の刊行と考えられる。詳細を見る
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釋奠供物圖 . 諸陵雜事注文 セキテン クモツズ . ショリョウ ゾウジ チュウモン Sekiten kumotsuzu . Shoryo zoji chumon 丹鶴叢書:戊申帙
「釋奠供物圖」は、弘安年間(1278-1288)に行われた釈奠の供物を記録した書。釈奠とは、孔子とその弟子たちを祭る儀式である。「諸陵雑事注文」は、正治2(1200)年成立の書で、各地の天皇陵における供物等について記録している。詳細を見る -
嘉永改正新選亰繪圖 カエイ カイセイ シンセン キョウエズ Kaei kaisei shinsen Kyo ezu
多色刷の京都図。刊記に「嘉永五年壬子初春三刻 皇都書林 竹原好兵衛版元」とある。版元は京都図を数多く出版した竹原好兵衛である。他の竹原好兵衛版の京都図は街路が赤い筋で表示されていることが多いが、この図は街区が黄色で表示されている。本資料でも、山々や寺社等の建造物が絵画的に表現され、小路名などが詳細に書き込まれている。詳細を見る -
[天保改正京都指掌圖] テンポウ カイセイ キョウト シショウズ Tempo kaisei Kyoto shishozu
単色刷の京都図。表紙が無いため本来の題は不明だが、当館所蔵の「天保改正京都指掌圖」とほぼ同一の内容・サイズで、刊記も同じである。詳細を見る -
河州交野郡山内谷々 カシュウ カタノグン サンナイ タニダニ Kashu katanogun sannai tanidani
『河内國大縣郡安宿部郡土砂留塲山内谷々圖』『山城國近江國土砂留塲山内谷々圖』(以上、標題は題簽による)『河州交野郡山内谷々』(標題は内題による)の三点が、柿渋引き染め楮(こうぞ)紙の帙に納められている。それぞれ畳物の絵地 […]詳細を見る -
平安中期の公卿・藤原資房の日記。春宮権大夫の一字をとって「春記」と呼ばれている。戊申帙の「春記」には長暦2年10-12月、長暦3年10-閏12月、長暦4年4-6月、9月、11月、長久2(1041)年3月の記事を収録している。詳細を見る
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京繪圖道法附 キョウエズ ミチノリツキ Kyoezu michinoritsuki
安永3年正本屋吉兵衛版「懐宝京絵図」と内容は同一だが、版元名は竹原好兵衛となっている。また、表紙には「京絵図道法附」の刷題箋がある。「道法附」とあるものの、距離等は本資料中には表示されていないので、この題箋は誤って貼られた可能性もある。詳細を見る -
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蒙古襲来繪詞 モウコ シュウライ エ コトバ Moko shurai e kotoba 丹鶴叢書:己酉帙
肥後国の御家人・竹崎季長が文永・弘安の役における自分の戦功を描かせた絵巻を、冊子体の版本とした書。絵の部分に彩色はないが、「アサキ」、「朱」などの色の指定がある。詳細を見る -
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元治改正新増細見京繪圖大全 ゲンジ カイセイ シンゾウ サイケン キョウ エズ タイゼン Genji kaisei shinzo saiken Kyo ezu taizen
多色刷の京都図。刊記には「天保五甲午年開版 文久二壬戌年再刻 文久三癸亥年三刻 京都書林 竹原好兵衞版元」とあるが、表紙の題箋には「元治改正 新増細見京絵図大全」とあり、文久から元治に改元された後に販売されたものであることが分かる。詳細を見る -
文化改正京都指掌圖 ブンカ カイセイ キョウト シショウズ Bunka Kaisei Kyoto shishozu 改正新板
多色刷の京都図。本資料には「文化九年申八月改正新板 板元 書林 京 正本屋吉兵衛 大坂 河内屋太助 同 小刀屋六兵衛」(書肆住所は省略)の刊記がある。内容と刊行年は同一だが、版元が京都の竹原好兵衛となっている版や、正本屋・河内屋・小刀屋が刊行した無彩色版が存在する。詳細を見る -
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『河内國大縣郡安宿部郡土砂留塲山内谷々圖』『山城國近江國土砂留塲山内谷々圖』(以上、標題は題簽による)『河州交野郡山内谷々』(標題は内題による)の三点が、柿渋引き染め楮(こうぞ)紙の帙に納められている。それぞれ畳物の絵地 […]詳細を見る
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聖語蔵経巻 ショウゴゾウ キョウカン Shogozo kyokan
東大寺大仏殿の北西に位置する正倉院。その中でも「聖語蔵(しょうごぞう)」と呼ばれる校倉に保存されていた、仏経を中心とする文書の一部について、検索・閲覧ができます。詳細を見る -
多色刷の京都図である。道筋を赤線で示す。刊記に「天保五甲午年開板 文久二壬戌年再板 京三條通寺町西へ入ル 竹原好兵衛版元」とあり、天保5(1834)年版を文久2(1862)年に再版したものであることがわかる。詳細を見る
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新増細見京繪圖 : 全 : 文化改正 シンゾウ サイケン キョウ エズ : ゼン : ブンカ カイセイ Shinzo saiken Kyo ezu : zen : Bunka kaisei
多色刷の京絵図である。刊記には「文化八年辛未閏二月御免 同十年酉春正月新刻 京 正栄堂田中吉兵衛板」(書肆の住所は省略)とあり、文化8(1811)年の刊行であることが分かるが、収録範囲や色分け等は、天明3(1783)年に京都の竹原好兵衛が刊行した「天明改正細見京絵図」などと同一の内容となっている。詳細を見る -
基盛朝臣鷹狩記 モトモリ アソン タカガリキ Motomori ason takagariki 丹鶴叢書:癸丑帙
鷹狩の歴史と故事等をまとめた書。持明院基盛の著作と言われてきたが、少なくとも前三分の二は西園寺実兼の著作であったと考えられている。詳細を見る -
法然上人法語抜萃 ホウネン ショウニン ホウゴ バッスイ Honen shonin hogo bassui
法然の法語の注釈書。8巻7冊。著者は「菩薩戒ノ弟子聴雨述ス」とあるが、この「聴雨」については不明。無刊記であるが、本文末に「寛文十二年の春これを述す」とあり、寛文12年に近い年に刊行されたものと推測される。内容は、法語を引用した後、「此心は・・・」という書き出しでその意味を説く。詳細を見る -
京都の亀屋清兵衛により宝永6(1709)年に刊行された京都図。当館所蔵の京都図の中では最も古いものである。街区は墨刷で、一部手彩色がある。通り名や各藩の京都屋敷、公家町は詳細に書き込まれている。詳細を見る
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浄土三部經附六時礼讃偈音義 ジョウド サンブキョウ フ ロクジ ライサンゲ オンギ Jodo sambukyo fu rokuji raisange ongi
浄土宗の根本聖典である三部経(「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」)および六時礼讃偈に音韻と意義とを注解した書。珠光編。「浄土三部経音義」ともいう。原本の版式は慶長元和(江戸初期)、刊行は江戸前期であると考えられている。詳細を見る -
保元合戦記 ホウゲン カッセンキ Hogen kassenki
軍記物語の一つ。『保元記』ともいう。『平治物語』『平家物語』『承久記』とあわせ、四部合戦状とも称される。通例、三巻三冊で構成される。他の軍記物語同様、いくたびも書きかえられ、内容の異なる諸本を産んだ。詳細を見る -
選擇本願念佛集 センチャク ホンガン ネンブツシュウ Senchaku hongan nembutsushu 江戸初期版
建久九年、九条兼実の要請に応じて法然が撰述したもので、京都廬山寺に現存する草稿本は、標題「選択本願念仏集」と冒頭「南無阿弥陀仏 往生之業念仏為先」の二十一字が源空自筆と伝えられる(重要文化財)。本書には刊記も年記もないため刊行にかかる確証をうることはできないが、江戸初期あるいはそれ以前の古活字版と推定される。詳細を見る -
西園寺家車圖 サイオンジケ クルマ ノ ズ Saionjike kuruma no zu 丹鶴叢書:戊申帙
牛車の図8点を収録した書。牛車に施された装飾等が詳細に描かれる。鎌倉時代に西園寺家で用いられた牛車について、室町時代から江戸時代の初めまでにまとめたものであるという。詳細を見る -
大經直談要註記 ダイキョウ ジキダン ヨウチュウキ Daikyo jikidan yochuki
浄土宗の根本聖典である浄土三部経(「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」)のうち「無量寿経」の注釈書。浄土宗第八祖・聖聰の著。永享5年(1433)成立。全24巻だが、本学所蔵のものは巻5-8、11-12の6巻のみが残っている。詳細を見る -
選擇傳弘决疑鈔 センチャク デング ケツギショウ Senchaku dengu ketsugisho 鎌倉期写本
浄土宗第三祖然阿良忠(1199-1287)の撰述にかかるもので、『観経疏伝通記』とともに彼の代表的な著作物である。この本館所蔵本は、奥書から良忠没後十三年にあたる永仁七(1299)年に良忠自筆の再治本から書写したもので、佐介御房とあるから悟真寺に伝承した書写本であろう。また良暁本と較べると字体等によりほぼ同時期のものではなかろうか。詳細を見る -
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大坂夏御陣之図 オオサカ ナツ ゴジン ノ ズ Osaka natsu gojin no zu
大坂の陣(大坂冬の陣、夏の陣)は、徳川氏が豊臣氏を二度にわたって攻め滅ぼした戦い。本絵図はこのうち慶長20(元和元〈1615〉)年の大坂夏の陣の配陣を描いている。詳細を見る -
再板改正京繪圖 サイハン カイセイ キョウエズ Saihan kaisei Kyo ezu
単色刷の京都図。刊年は記されていないが、禁裏の南西に「准后御所」ができていることから、宝暦頃(1751-1763)のものと思われる。主要な寺社や山々は絵画的に描かれている。詳細を見る -
細見京繪圖 サイケン キョウ エズ Saiken Kyo ezu
色刷の絵図で、道筋は赤で刷られているが、退色している。「天明三年癸卯正月 正吉板」の刊記があることから、版元は京都の正本屋吉兵衛と考えられる。詳細を見る -
無量壽經鈔 ムリョウジュキョウショウ Muryojukyosho 寛永版
鎌倉時代の僧・了慧道光(1243-1330)が永仁4年(1296)に撰述した「仏説無量壽経」の注釈書。本書は「寛永元甲子暦 六條西寺内開板」の刊記をもつ古活字版である。本学ではこのほか慶長20(1615)年の古活字版を2本所蔵している。詳細を見る -
唐代の僧・道宣撰。江戸前期の古活字版。『江戸時代初期出版年表』によると、『四分律比丘含注戒本』、『四分律比丘含注戒本疏』、『四分律刪補羯磨』、『四分律刪補羯磨疏』、『四分律刪補羯磨疏済縁起』の五種は、「同種活字、同装、同時刊か」とされている。本学ではこのうち『四分律刪補羯磨』と『四分律比丘含注戒本』を所蔵する。詳細を見る
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室町殿春日詣記 ムロマチドノ カスガ モウデキ Muromachidono kasuga modeki 丹鶴叢書:戊申帙
明徳2(1391)年9月に室町殿(将軍足利義満)が春日大社に参詣した際の記録。同行者の服装や従者の人数を記録している。詳細を見る -
秘密漫荼羅教付法傳 ヒミツ マンダラキョウ フホウデン Himitsu mandarakyo fuhoden
真言宗の開祖、空海の著。密教を伝えた七祖の伝を述べる。全2巻のうち、巻2のみが残る古活字版である。詳細を見る
