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今昔物語集 コンジャク モノガタリシュウ Konjaku monogatarishu 丹鶴叢書:甲寅帙
平安後期の説話集。全31巻だが、現在は巻8・18・21を欠く。「丹鶴叢書」には「辛亥帙」に巻11-12、「壬子帙」に巻13-14、「癸丑帙」に巻15-16、「甲寅帙」に巻17、「庚戌帙」に巻22-31を収録する。詳細を見る -
承久兵乱記 ジョウキュウ ヘイランキ Jokyu heiranki
承久3(1221)年に起こった承久の乱の顛末を記した軍記物語である。「承久記」ともいう。「承久記」は作者・成立年代とも未詳だが、慈光寺本が最も古態を残していると言われ、その後流布本が成立し、それを抄出したものが前田家本であると見られている。本資料はその前田家本の系統であり、元和年間(1615~1623)の書写であると考えられている。詳細を見る -
河州交野郡山内谷々 カシュウ カタノグン サンナイ タニダニ Kashu katanogun sannai tanidani
『河内國大縣郡安宿部郡土砂留塲山内谷々圖』『山城國近江國土砂留塲山内谷々圖』(以上、標題は題簽による)『河州交野郡山内谷々』(標題は内題による)の三点が、柿渋引き染め楮(こうぞ)紙の帙に納められている。それぞれ畳物の絵地 […]詳細を見る -
江戸中期の僧で興正寺5世の諦忍(妙竜、1705-1786)が著した随録集。「空華談叢」は4巻4冊で天明6年(1786)に刊行されているが、もとは7巻であり、前編4巻のみが先に刊行され、後編は結局刊行されなかったという。詳細を見る -
天保2(1831)年に刊行された単色刷の京都図。京都図の中では最大のサイズで、無彩色と彩色刷の二種があるという。京都図や京都の地誌を数多く手がけた池田東籬亭と、書肆の竹原好兵衛が本資料の出版に携わっている。詳細を見る -
京圖名所鑑 : 改正两面 キョウズ メイショ カガミ : カイセイ リョウメン Kyozu meisho kagami : kaisei ryomen
本資料は安永7(1778)年に京都の菊屋長兵衛により出版された京都図である。裏面に京都の神社仏閣などの名所の案内記がある。両面とも単色刷である。街区は墨刷ではなく白抜きとなっている。他の京絵図と同様、寺社名、各藩の京都屋敷の所在地、御土居等を記す。詳細を見る -
細見京繪圖 サイケン キョウ エズ Saiken Kyo ezu
色刷の絵図で、道筋は赤で刷られているが、退色している。「天明三年癸卯正月 正吉板」の刊記があることから、版元は京都の正本屋吉兵衛と考えられる。詳細を見る -
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往生要集鈔 オウジョウ ヨウシュウショウ Ojo yoshusho 室町期写本
「往生要集鈔」の伝本の標題は「往生要集鈔」と「往生要集義記」の二種がある。写本や成立の早い版本は「鈔」であり、寛永年間の木活字版以降は全て「義記」となっている。詳細を見る -
麒麟論私釋 キリンロン シシャク Kirinron shishaku
良定(1552-1639)の著。良定(袋中)は江戸前期の浄土宗の僧で、慶長8(1603)年、明に渡ろうとして琉球に漂着し、尚寧王の帰依をうけて桂林寺を開いた。本資料は良定没後の寛永21(1643)年に京都の書肆村上平楽寺から刊行されている。詳細を見る -
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今昔物語集 コンジャク モノガタリシュウ Konjaku monogatarishu 丹鶴叢書:庚戌帙 - 辛亥帙
平安後期の説話集。全31巻だが、現在は巻8・18・21を欠く。「丹鶴叢書」には「辛亥帙」に巻11-12、「壬子帙」に巻13-14、「癸丑帙」に巻15-16、「甲寅帙」に巻17、「庚戌帙」に巻22-31を収録する。詳細を見る -
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九條家車圖 クジョウケ クルマ ズ Kujoke kuruma zu 丹鶴叢書:戊申帙
牛車の図8点を収録した書。牛車に施された装飾等が詳細に描かれる。「九条家車図」という題は後に付与されたもので、全てが九条家の牛車を描いたものというわけではなく、「平安時代以来摂関家で乗用された牛車を図示したものに、鎌倉時代前期に近衛家で制作した牛車絵を増補したもの」であると考えられている。詳細を見る -
大系圖画引便覽 オオケイズ カクビキ ベンラン Okeizu kakubiki benran 丹鶴叢書:丹鶴外書
「大系図」に掲載されている人物を名前の画数から引くことができるように作成された索引。「大系図」とは南北朝期に編纂された系譜集である「尊卑分脈」を指す。詳細を見る -
[天保改正京都指掌圖] テンポウ カイセイ キョウト シショウズ Tempo kaisei Kyoto shishozu
単色刷の京都図。表紙が無いため本来の題は不明だが、当館所蔵の「天保改正京都指掌圖」とほぼ同一の内容・サイズで、刊記も同じである。詳細を見る -
本資料は北辺を欠き、資料名も記されていない。また、刊記がなく、出版者や出版年も不明であるが、図の左下に「印付」(凡例)があり、「元禄又ハ宝永此かた享保ニいたりできたる新地」という記述があることから、本資料は少なくとも享保(1716-1735)以後の成立であることが分かる。詳細を見る -
天保改正袖中京繪圖 テンポウ カイセイ シュウチュウ キョウ エズ Tempo kaisei shuchu Kyo ezu
多色刷の京都図。本資料刊行の約50年前の天明6(1786)年には、「天明新板袖中京絵図」が本資料と同じ版元(竹原好兵衛)から出版されている。「天明新板袖中京絵図」と本資料は、サイズはほぼ同じだが、資料名に「天保改正」とあるとおり、ところどころ修正されているため、全くの同版ではない。詳細を見る -
光明真言初心要抄 コウミョウ シンゴン ショシン ヨウショウ Komyo shingon shoshin yosho
江戸時代初期の僧・頼慶(1562-1610)の著。本資料は古活字版で、高野山で刊行されたいわゆる高野版である。巻末には「慶長九年丙辰十月廿一日依初入者之嘱注 東寺末葉桑門頼慶」とあるが、干支の「丙辰」は誤りで「甲辰」が正しい。詳細を見る -
明敎新誌 メイキョウシンシ Meikyoshinshi β版
明治7から明治34年まで4,603号に亘って続いた仏教新聞です。特定の宗派に偏らない編集方針を採用し、内容も官報、各宗の録事、社説、雑報、論説、法語、文芸、寄書などバラエティーに飛んでおり、明治という時代の一側面を映し出す鏡となっております。詳細を見る -
信實朝臣家集撰 ノブザネ アソン カシュウセン Nobuzane ason kashusen 丹鶴叢書:己酉帙
藤原信実の歌集。約200首を収録する。藤原信実は鎌倉時代の歌人で、画家でもあった。詳細を見る -
正中御飾記. 内宮御神寳記 ショウチュウ オカザリキ. ナイクウ ゴジンポウキ Shochu okazariki. Naiku gojimpoki 丹鶴叢書:丁未帙
「正中御飾記」は嘉元4(1306)年に豊受皇太神宮(伊勢神宮外宮)が二十年に一度の遷宮を行った際の、神殿装飾について記録したもので、正中2(1325)年に成立した。詳細を見る -
選擇傳弘决疑鈔 センチャク デング ケツギショウ Senchaku dengu ketsugisho 寛永9年版
建長六年(1254)、良忠(1199-1287、浄土宗第三祖)が下総地方の教化によって鏑木九郎の帰依を受け、匝瑳郡鏑木に住んでいたころに辨長(1162-1238、浄土宗第二祖)から授けられた『選擇本願念佛集』を註解したもの。本書は「寛永九年壬申仲秋吉旦 新刊」の刊記はあるが、版元は記されていない。詳細を見る -
文化改正京都指掌圖 ブンカ カイセイ キョウト シショウズ Bunka Kaisei Kyoto shishozu 改正新板
多色刷の京都図。本資料には「文化九年申八月改正新板 板元 書林 京 正本屋吉兵衛 大坂 河内屋太助 同 小刀屋六兵衛」(書肆住所は省略)の刊記がある。内容と刊行年は同一だが、版元が京都の竹原好兵衛となっている版や、正本屋・河内屋・小刀屋が刊行した無彩色版が存在する。詳細を見る -
平治物語 ヘイジ モノガタリ Heiji monogatari
軍記物語の一つ。『平治記』ともいう。『保元物語』『平家物語』『承久記』とあわせ四部合戦状とも称される。通例、三巻三冊で構成される。詳細を見る -
天保改正京都指掌圖 テンポウ カイセイ キョウト シショウズ Tempo kaisei Kyoto shishozu
単色刷の京絵図。「天保十一年子初春発行 京繪圖 京三条通寺町 竹原好兵衞梓」の刊記がある。また「編圖洛士 池田東籬主人」とあり、多くの京都名所案内を手がけた池田東籬亭が本資料の作図に関わっていることが分かる。詳細を見る -
文久改刻繁榮京都御繪圖 : 平野屋版 ブンキュウ カイコク ハンエイ キョウト オエズ : ヒラノヤバン Bunkyu kaikoku hanei Kyoto oezu : hiranoyaban
多色刷の京都図。「文久三年癸亥春改正再刻 皇都六角通柳馬塲西入町 御絵図司 翠松園 平野屋茂兵衛版元」の刊記が入り、「図書竝校訂 四方春翠」とある。四方春翠(よもしゅんすい)は版元の平野屋茂兵衛のことで、のちに廃業して銅板絵師となった。詳細を見る -
浄土三部經附六時礼讃偈音義 ジョウド サンブキョウ フ ロクジ ライサンゲ オンギ Jodo sambukyo fu rokuji raisange ongi
浄土宗の根本聖典である三部経(「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」)および六時礼讃偈に音韻と意義とを注解した書。珠光編。「浄土三部経音義」ともいう。原本の版式は慶長元和(江戸初期)、刊行は江戸前期であると考えられている。詳細を見る -
寳永改洛陽洛外之繪圖 ホウエイ アラタメ ラクヨウ ラクガイ ノ エズ Hoei aratame rakuyo rakugai no ezu
単色刷の京都図。一部に手彩色がある。街区は墨刷となっている。図中では「京三十三番廻」や「京ノ七口」が紹介されている。詳細を見る -
風につれなき物語 カゼ ニ ツレナキ モノガタリ Kaze ni tsurenaki monogatari 丹鶴叢書:丁未帙
鎌倉時代に成立した、作者未詳の擬古物語。下冊の巻末には、本資料が収められた「丹鶴叢書」丁未帙と、丁未帙に続いて刊行された戊申帙の目録が掲載されている。詳細を見る -
黒谷上人語燈録 クロダニ ショウニン ゴトウロク Kurodani shonin gotoroku
望西楼了慧道光(1243-1330)編。法然上人の著述・法語・消息のうち和語のものだけを集めたもの。本篇五冊と拾遺二冊より成る。本篇は文永12(1275)年の編集になるが、拾遺の編集年時は未詳。詳細を見る -
日本書紀 ニホン ショキ Nihon shoki 丹鶴叢書:辛亥帙
奈良時代に成立した日本最初の編年体の歴史書。全30巻のうち、「丹鶴叢書」では神代巻の上下2巻を収録する。嘉元4(1306)年に書写された写本を模刻している。詳細を見る -
「洛陽三十三所観音」の案内記。副題に「御詠歌并ニ道法」とあるとおり、1番の六角堂から33番の清和院まで、それぞれの御詠歌や各寺院間の距離などを掲載する。洛陽三十三所観音は、近世には「雍州府志」や「京羽二重」など多くの地誌類に掲載されたという。詳細を見る -
改正増補京繪圖大成 カイセイ ゾウホ キョウエズ タイセイ Kaisei zoho Kyoezu taisei 3刻
文久3(1863)年、京都の竹原好兵衛により刊行された京都図。刊記には「天保五甲午年開版 文久二壬戌年再刻 文久三癸亥年三刻」とあり、天保5(1834)年に刊行された絵図の三版である。詳細を見る -
中古京師内外地圖 : 皇州緒餘撰部 チュウコ ケイシ ナイガイ チズ : コウシュウ チョヨセンブ Chuko keishi naigai chizu : koshu choyosembu
森幸安による絵図の写し。本資料は明治27(1894)年に作成された写本だが、原本は寛延3(1750)年に作成されている。ただし、描かれているのは作成当時の京都の姿ではなく、応仁期(1467-1469)以降、15世紀頃のものである。森幸安は数多くの絵図を手がけた人物で、日本全国の絵図を作成しているが、特に京都やその近郊、摂津国(現在の大阪府)の絵図が多く伝わっている。詳細を見る -
洛陽四十八所地蔵霊場巡禮利生記 ラクヨウ シジュウハッショ ジゾウ レイジョウ ジュンレイ リショウキ Rakuyo shijuhassho jizo reijo junrei rishoki
京都に所在する四十八の地蔵の巡礼案内書である。写本、一巻二冊。本書には、一番の壬生寺・縄目地蔵から四十八番の本覚寺・泥附地蔵まで、洛中の四十八の地蔵(「洛陽四十八所地蔵」)について、その由緒を記し霊元天皇の御詠歌を添える。詳細を見る -
觀經玄義分傳通記見聞 カンギョウ ゲンギブン デンズウキ ケンモン Kangyo gengibun denzuki kemmon 傳通記見聞
良忠『觀經玄義分傳通記』の注釈書である。享保14(1729)年、木活字により印刷されている。詳細を見る -
金谷道人御一代記 キンコク ドウジン ゴイチダイキ Kinkoku dojin goichidaiki
江戸中期から後期の僧・横井金谷(1761-1832)が自らの半生を綴った絵巻。全7巻。横井金谷は、京都金谷山極楽寺の住職であった。現在伝わる「金谷上人御一代記」の写本は、冊子本の体裁であるものも多いというが、本学所蔵のものは巻子本で、各巻頭に「金谷」「大寶主人」印がある。詳細を見る -
懐寳京繪圖 : 全 カイホウ キョウ エズ : ゼン Kaiho Kyo ezu : zen
単色刷の京都図。街区は墨刷りで表されている。刊記がないため、刊行年や版元は不明だが、内裏の形態から寛保・宝暦期(1741-1763)のものと推測される。詳細を見る -
多色刷の京都図。題箋や刊記がないが、内裏の西に「御用御屋敷」(京都守護職屋敷)があることなどから、幕末に刊行されたものと思われる。版面は天保14(1843)年に近江屋佐太郎により刊行された「案見京都細図」に類似する。「案見京都細図」では「三条大橋ヨリ諸方道法」の付録が添付されていたが、本資料には「京都名所方角之図」が添付されている。詳細を見る -
平安中期の公卿・藤原資房の日記。春宮権大夫の一字をとって「春記」と呼ばれている。「丹鶴叢書」の丁未帙の「春記」には長暦3(1039)年8月と、永承7(1052)年4から9月の記事を収録している。詳細を見る -
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嘉永改正新選亰繪圖 カエイ カイセイ シンセン キョウエズ Kaei kaisei shinsen Kyo ezu
多色刷の京都図。刊記に「嘉永五年壬子初春三刻 皇都書林 竹原好兵衛版元」とある。版元は京都図を数多く出版した竹原好兵衛である。他の竹原好兵衛版の京都図は街路が赤い筋で表示されていることが多いが、この図は街区が黄色で表示されている。本資料でも、山々や寺社等の建造物が絵画的に表現され、小路名などが詳細に書き込まれている。詳細を見る -
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觀經序分義傳通記見聞 カンギョウ ジョブンギ デンズウキ ケンモン Kangyo jobungi denzuki kemmon 傳通記見聞
良忠『觀經散善義傳通記』の注釈書である。享保16(1731)年、木活字により印刷されている。詳細を見る -
基盛朝臣鷹狩記 モトモリ アソン タカガリキ Motomori ason takagariki 丹鶴叢書:癸丑帙
鷹狩の歴史と故事等をまとめた書。持明院基盛の著作と言われてきたが、少なくとも前三分の二は西園寺実兼の著作であったと考えられている。詳細を見る -
乙寺縁起 キノトデラ エンギ Kinotodera engi 丹鶴叢書:戊申帙
越後国(現在の新潟県)の乙宝寺(おっぽうじ)の由緒を記した絵巻(乙宝寺縁起絵巻)を冊子体の版本として構成しなおした書。絵の部分に彩色はないが、「アサキ」、「ウスヽミ」などの色の指定がある。詳細を見る -
長澤庄兵衛、上村四郎兵衛等により享保10(1725)年に出版された京都図。単色刷であるが、一部に手彩色がある。街区は墨刷で、各藩の京都屋敷や寺社名などの表示はあるが、他の京大絵図と比較すると情報量は少ない。絵図の下部に「花洛神社仏閣の享保十巳ノ年迄年数」を掲載している。詳細を見る -
元治改正京名所道の枝折圖 ゲンジ カイセイ ミヤコ メイショ ミチ ノ シオリ ノ ズ Genji kaisei miyako meisho michi no shiori no zu
元治元(1864)年、京都の小川多右衛門等によって刊行された京都図。図中には「宮御門跡方」、「公武御屋敷方」、「神社」、「寺院」などが色分けで表示され、主要な寺社名や各藩の京都屋敷の所在地が書き込まれている。裏面では神社仏閣の紹介文を掲載すると共に、三条大橋を出発地として各地を六日間でまわる順路を示している。詳細を見る -
神輿洗は祇園祭の神輿を鴨川の水で清める儀式で、神幸祭に先立つ7月10日(旧暦5月晦日)と還幸祭の後の28日(旧暦6月18日)に行われる。その際に祇園遊郭では芸妓や周辺の町人たちが、流行りの芸能などに取材したさまざまな仮装 […]詳細を見る -
多色刷の京都図である。道筋を赤線で示す。刊記に「天保五甲午年開板 文久二壬戌年再板 京三條通寺町西へ入ル 竹原好兵衛版元」とあり、天保5(1834)年版を文久2(1862)年に再版したものであることがわかる。詳細を見る -
往生要集義記 オウジョウ ヨウシュウ ギキ Ojo yoshu giki 江戸初期版
浄土宗第三祖良忠撰。源信『往生要集』の注釈書である。『往生要集義記』の伝本には『往生要集鈔』と『往生要集義記』という二種類の表題があり、成立の早い写本・版本には『往生要集鈔』、遅いものには『往生要集義記』の名が付けられている。詳細を見る -
淨花院霊寳縁起 ジョウケイン レイホウ エンギ Jokein reiho engi
浄土宗七大本山の一つ、清浄華院(しょうじょうけいん)の宝物の由来を記した資料。長禄3年(1459)、良秀の奥書があるが、自筆本ではなく、写本と考えられる。清浄華院に残る葉室頼業筆「浄華院由記」(正保3年[1646])には、本書に類似する内容が含まれるが、そちらは漢文で書かれている。詳細を見る -
千とせのためし チトセ ノ タメシ Chitose no tameshi 丹鶴叢書:丹鶴外書
和歌山藩の付家老で新宮城主、「丹鶴叢書」の編纂者でもある水野忠央が編纂した古筆・古美術品等の図録。詳細を見る -
中昔京師地圖 : 皇州緒餘撰部 ナカムカシ ケイシ チズ : コウシュウ ショヨセンブ Nakamukashi keishi chizu : koshu shoyosembu
森幸安が手がけた絵図の写し。応仁元(1467)年から天正期(1573-1591)までの約120年間の京都の状況を考証し、作成された。森幸安の「皇州緒餘撰部」は、寛延から宝暦年間(1748-1763)に作成されている。この中には本資料のように往古の京都の姿を描いたものもあれば、作成年代当時の姿を描いた絵図もある。詳細を見る -
往生要集義記 オウジョウ ヨウシュウ ギキ Ojo yoshu giki 寛永18年版
浄土宗第三祖良忠撰。源信『往生要集』の注釈書である。『往生要集義記』の伝本には『往生要集鈔』と『往生要集義記』という二種類の表題があり、成立の早い写本・版本には『往生要集鈔』、遅いものには『往生要集義記』の名が付けられている。本書の巻末には「寛永辛巳仲冬日 / 書舎理兵衛刊行」の刊記が入る。詳細を見る -
後水尾院當時年中行事 ゴミズノオイン トウジ ネンジュウ ギョウジ Gomizunoin toji nenju gyoji 丹鶴叢書:丁未帙
後水尾天皇(1596-1680、在位1611-1629)が正保・慶安(1644-1651)頃、後光明天皇(1633-1654、在位1643-1654)に贈るために編纂したもので、その当時の朝廷の年中行事、特に世俗的・私的な性格を持つ行事を中心に、その内容を記している。詳細を見る