書体
:書体の個性に注目し、作品中の文字を切り取って表示しています。作品タイトル単位での表示です。-
選擇要决 1巻 センチャク ヨウケツ 1カン Senchaku yoketsu 1kan
法然房源空(1133-1212)の主著『選択本願念仏集』について遺弟たちの間から出た異議を10か条に整理し、一つ一つ反論したもの。鎌倉時代初期の浄土宗僧・勢観房源智(1183-1238)が嘉禎2年(1236)に撰述したと […]詳細を見る -
両面刷で、片面は京都図、もう片面は京都見物の際に有用な「京三条大橋ヨリ方角道法」、「京都縦横町小路並異名」などの記事を掲載する。京都図のある面は多色刷で、もう一方の面は単色刷である。他の京都図と比較して、内裏周辺や二条城が特に詳細に描かれている。詳細を見る
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天保2(1831)年に刊行された単色刷の京都図。京都図の中では最大のサイズで、無彩色と彩色刷の二種があるという。京都図や京都の地誌を数多く手がけた池田東籬亭と、書肆の竹原好兵衛が本資料の出版に携わっている。詳細を見る
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往生禮讚私記 オウジョウ ライサン シキ Ojo raisan shiki
善導「往生礼讃」の注釈書である。浄土宗第三祖である良忠の著作。本書は下巻を欠くため刊記が確認できないが、他本との照合により慶長16年(1611)に刊行された古活字本と推測される。詳細を見る -
洛陽四十八所地蔵霊場巡禮利生記 ラクヨウ シジュウハッショ ジゾウ レイジョウ ジュンレイ リショウキ Rakuyo shijuhassho jizo reijo junrei rishoki
京都に所在する四十八の地蔵の巡礼案内書である。写本、一巻二冊。本書には、一番の壬生寺・縄目地蔵から四十八番の本覚寺・泥附地蔵まで、洛中の四十八の地蔵(「洛陽四十八所地蔵」)について、その由緒を記し霊元天皇の御詠歌を添える。詳細を見る -
[懐寳京繪圖] カイホウ キョウ エズ Kaiho Kyo ezu
「懐宝京絵図」とほぼ同じ内容の京都図で、刊記も同一のものが入っているが、赤で刷られた道筋は細かい相違が見られる。また本資料には五山の舟形と妙法が赤で刷られているが、「懐宝京絵図」の方にはそれが見られない。詳細を見る -
『河内國大縣郡安宿部郡土砂留塲山内谷々圖』『山城國近江國土砂留塲山内谷々圖』(以上、標題は題簽による)『河州交野郡山内谷々』(標題は内題による)の三点が、柿渋引き染め楮(こうぞ)紙の帙に納められている。それぞれ畳物の絵地 […]詳細を見る
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光明真言初心要抄 コウミョウ シンゴン ショシン ヨウショウ Komyo shingon shoshin yosho
江戸時代初期の僧・頼慶(1562-1610)の著。本資料は古活字版で、高野山で刊行されたいわゆる高野版である。巻末には「慶長九年丙辰十月廿一日依初入者之嘱注 東寺末葉桑門頼慶」とあるが、干支の「丙辰」は誤りで「甲辰」が正しい。詳細を見る -
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承久兵乱記 ジョウキュウ ヘイランキ Jokyu heiranki
承久3(1221)年に起こった承久の乱の顛末を記した軍記物語である。「承久記」ともいう。「承久記」は作者・成立年代とも未詳だが、慈光寺本が最も古態を残していると言われ、その後流布本が成立し、それを抄出したものが前田家本であると見られている。本資料はその前田家本の系統であり、元和年間(1615~1623)の書写であると考えられている。詳細を見る -
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觀經序分義傳通記 カンギョウ ジョブンギ デンズウキ Kangyo jobungi denzuki 觀經疏傳通記
浄土宗第三祖良忠(一一九九-一二八七)撰。善導の観経疏四巻を注釈したもので、玄義分記六巻、序分義記三巻、定善義記三巻、散善義記三巻の計十五巻の書。詳細を見る -
元治改正京名所道の枝折圖 ゲンジ カイセイ ミヤコ メイショ ミチ ノ シオリ ノ ズ Genji kaisei miyako meisho michi no shiori no zu
元治元(1864)年、京都の小川多右衛門等によって刊行された京都図。図中には「宮御門跡方」、「公武御屋敷方」、「神社」、「寺院」などが色分けで表示され、主要な寺社名や各藩の京都屋敷の所在地が書き込まれている。裏面では神社仏閣の紹介文を掲載すると共に、三条大橋を出発地として各地を六日間でまわる順路を示している。詳細を見る -
十六羅漢圖贊集 ジュウロク ラカンズ サンシュウ Juroku rakanzu sanshu
増上寺関連の漢詩を集録した『緑山詩叢』を徹定が刊行したのは、嘉永三(一八五〇)年秋である。三十七歳の徹定は、増上寺新谷学寮にあって後進を薫育していた。『十六羅漢図贊輯録』の編纂を終えたのもこの年であり、徹定のひたむきな研鑚の日々を知ることができる。詳細を見る -
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往生要集義記 オウジョウ ヨウシュウ ギキ Ojo yoshu giki 寛永18年版
浄土宗第三祖良忠撰。源信『往生要集』の注釈書である。『往生要集義記』の伝本には『往生要集鈔』と『往生要集義記』という二種類の表題があり、成立の早い写本・版本には『往生要集鈔』、遅いものには『往生要集義記』の名が付けられている。本書の巻末には「寛永辛巳仲冬日 / 書舎理兵衛刊行」の刊記が入る。詳細を見る -
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明治22年(1889年)に、浄土教報社により創刊された、浄土宗を主体とする逐次刊行物です。当サイトでは1号から2472号までの全てを欠号なく収録し、一部の附録についても、これを公開しております。詳細を見る
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平治物語 ヘイジ モノガタリ Heiji monogatari
軍記物語の一つ。『平治記』ともいう。『保元物語』『平家物語』『承久記』とあわせ四部合戦状とも称される。通例、三巻三冊で構成される。詳細を見る -
『河内國大縣郡安宿部郡土砂留塲山内谷々圖』『山城國近江國土砂留塲山内谷々圖』(以上、標題は題簽による)『河州交野郡山内谷々』(標題は内題による)の三点が、柿渋引き染め楮(こうぞ)紙の帙に納められている。それぞれ畳物の絵地 […]詳細を見る
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四分律比丘含注戒本 シブンリツ ビク ガンチュウ カイホン si fen lu bi qiu han zhu jie ben Shibunritsu biku ganchu kaihon
唐代の僧・道宣撰。江戸前期の古活字版。『江戸時代初期出版年表』によると、『四分律比丘含注戒本』、『四分律比丘含注戒本疏』、『四分律刪補羯磨』、『四分律刪補羯磨疏』、『四分律刪補羯磨疏済縁起』の五種は、「同種活字、同装、同時刊か」とされている。詳細を見る -
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今昔物語集 コンジャク モノガタリシュウ Konjaku monogatarishu 丹鶴叢書:壬子帙 - 癸丑帙
平安後期の説話集。全31巻だが、現在は巻8・18・21を欠く。「丹鶴叢書」には「辛亥帙」に巻11-12、「壬子帙」に巻13-14、「癸丑帙」に巻15-16、「甲寅帙」に巻17、「庚戌帙」に巻22-31を収録する。詳細を見る -
佛道修行教文 ブツドウ シュギョウ ノ キョウモン Butsudo shugyo no kyomon
書名は「佛道修行教文」とあるものの、内容は「阿弥陀の本地」または「法蔵比丘」の名で知られる室町物語であり、松本隆信氏の「阿弥陀の本地」の分類によれば甲類に属す。室町前・中期頃の写本と推測される。詳細を見る -
往生要集義記 オウジョウ ヨウシュウ ギキ Ojo yoshu giki 江戸初期版
浄土宗第三祖良忠撰。源信『往生要集』の注釈書である。『往生要集義記』の伝本には『往生要集鈔』と『往生要集義記』という二種類の表題があり、成立の早い写本・版本には『往生要集鈔』、遅いものには『往生要集義記』の名が付けられている。詳細を見る -
後水尾院當時年中行事 ゴミズノオイン トウジ ネンジュウ ギョウジ Gomizunoin toji nenju gyoji 丹鶴叢書:丁未帙
後水尾天皇(1596-1680、在位1611-1629)が正保・慶安(1644-1651)頃、後光明天皇(1633-1654、在位1643-1654)に贈るために編纂したもので、その当時の朝廷の年中行事、特に世俗的・私的な性格を持つ行事を中心に、その内容を記している。詳細を見る -
中昔京師地圖 : 皇州緒餘撰部 ナカムカシ ケイシ チズ : コウシュウ ショヨセンブ Nakamukashi keishi chizu : koshu shoyosembu
森幸安が手がけた絵図の写し。応仁元(1467)年から天正期(1573-1591)までの約120年間の京都の状況を考証し、作成された。森幸安の「皇州緒餘撰部」は、寛延から宝暦年間(1748-1763)に作成されている。この中には本資料のように往古の京都の姿を描いたものもあれば、作成年代当時の姿を描いた絵図もある。詳細を見る -
京圖鑑綱目 : 名所手引 キョウ ズカン コウモク : メイショ テビキ Kyo zukan komoku : meisho tebiki
表面に京都図、裏面に「名所手引案内」を収録する。宝暦4(1754)年、菊屋長兵衛等により刊行された。図中には寺社名、各藩京都屋敷名や通り名、御土居等を掲載する他、「三条大橋より道のり附」があり、三条大橋から「禁中様」、「金かく寺」、「知恩院」などへの距離が記されている。詳細を見る -
無量壽經鈔 ムリョウジュキョウショウ Muryojukyosho 寛永版
鎌倉時代の僧・了慧道光(1243-1330)が永仁4年(1296)に撰述した「仏説無量壽経」の注釈書。本書は「寛永元甲子暦 六條西寺内開板」の刊記をもつ古活字版である。本学ではこのほか慶長20(1615)年の古活字版を2本所蔵している。詳細を見る -
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選擇本願念佛集 センチャク ホンガン ネンブツシュウ Senchaku hongan nembutsushu 建長版
法然が建久9(1198)年66歳の時、九条兼実の要請によって撰述したもの。内容は念仏の要文をあつめ、その要義を十六の章に分ちて論述してもので、浄土宗の根本聖典である。この古版本は、粘葉綴古版本十二種のなか、延応版に次ぐ古い版本で、建長3(1251)年の刊年をもつ西本願寺本、また東洋文庫本とも異版である。どちらにしても建長頃の古版本であることには疑いない。詳細を見る -
觀經散善義傳通記見聞 カンギョウ サンゼンギ デンズウキ ケンモン Kangyo sanzengi denzuki kemmon 傳通記見聞
良忠『觀經散善義傳通記』の注釈書である。享保16(1731)年、木活字により印刷されている。詳細を見る -
河州交野郡山内谷々 カシュウ カタノグン サンナイ タニダニ Kashu katanogun sannai tanidani
『河内國大縣郡安宿部郡土砂留塲山内谷々圖』『山城國近江國土砂留塲山内谷々圖』(以上、標題は題簽による)『河州交野郡山内谷々』(標題は内題による)の三点が、柿渋引き染め楮(こうぞ)紙の帙に納められている。それぞれ畳物の絵地 […]詳細を見る -
文久改刻繁榮京都御繪圖 : 平野屋版 ブンキュウ カイコク ハンエイ キョウト オエズ : ヒラノヤバン Bunkyu kaikoku hanei Kyoto oezu : hiranoyaban
多色刷の京都図。「文久三年癸亥春改正再刻 皇都六角通柳馬塲西入町 御絵図司 翠松園 平野屋茂兵衛版元」の刊記が入り、「図書竝校訂 四方春翠」とある。四方春翠(よもしゅんすい)は版元の平野屋茂兵衛のことで、のちに廃業して銅板絵師となった。詳細を見る -
觀經定善義傳通記 カンギョウ ジョウゼンギ デンズウキ Kangyo jozengi denzuki 觀經疏傳通記
浄土宗第三祖良忠(一一九九-一二八七)撰。善導の観経疏四巻を注釈したもので、玄義分記六巻、序分義記三巻、定善義記三巻、散善義記三巻の計十五巻の書。詳細を見る -
西園寺家車圖 サイオンジケ クルマ ノ ズ Saionjike kuruma no zu 丹鶴叢書:戊申帙
牛車の図8点を収録した書。牛車に施された装飾等が詳細に描かれる。鎌倉時代に西園寺家で用いられた牛車について、室町時代から江戸時代の初めまでにまとめたものであるという。詳細を見る -
浄土宗の僧侶、鵜飼徹定(1814-91)の著。法隆寺、西大寺、高山寺、増上寺その他で閲覧した諸経に附された経典の訳場に関与した諸人の役分、官位などを列挙したものを記録して後人の参考に資したものである。『古経題跋』とならんで、日本仏教界における考証学の嚆矢となる。詳細を見る
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新撰京繪圖 シンセン キョウエズ Shinsen Kyo ezu
単色刷の京都図。刊記はなく、「神武天皇より今上皇帝迄歴代百廿二代にして年数凡弐千五百五十九年と成なり」とあることから、明治32(1899)年刊行と読み取れるが、図を見ると「東御奉行」などが存在することから、内容は江戸時代のものであることが分かる。また内裏の配置からは天保期(1830-1843)の図と推測される。詳細を見る -
明治京都指掌之圖 メイジ キョウト シショウ ノ ズ Meiji Kyoto shisho no zu
木版多色刷の京都図。街区は色分けされ、漢数字で番号が振られているが、これは町組の番号である。各組には小学校が設置された。図の下には各組に設置された小学校の一覧がある。詳細を見る -
大經直談要註記 ダイキョウ ジキダン ヨウチュウキ Daikyo jikidan yochuki
浄土宗の根本聖典である浄土三部経(「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」)のうち「無量寿経」の注釈書。浄土宗第八祖・聖聰の著。永享5年(1433)成立。全24巻だが、本学所蔵のものは巻5-8、11-12の6巻のみが残っている。詳細を見る -
黒谷上人語燈録 クロダニ ショウニン ゴトウロク Kurodani shonin gotoroku
望西楼了慧道光(1243-1330)編。法然上人の著述・法語・消息のうち和語のものだけを集めたもの。本篇五冊と拾遺二冊より成る。本篇は文永12(1275)年の編集になるが、拾遺の編集年時は未詳。詳細を見る -
日本書紀 ニホン ショキ Nihon shoki 丹鶴叢書:辛亥帙
奈良時代に成立した日本最初の編年体の歴史書。全30巻のうち、「丹鶴叢書」では神代巻の上下2巻を収録する。嘉元4(1306)年に書写された写本を模刻している。詳細を見る -
往生要集鈔 オウジョウ ヨウシュウショウ Ojo yoshusho 室町期写本
「往生要集鈔」の伝本の標題は「往生要集鈔」と「往生要集義記」の二種がある。写本や成立の早い版本は「鈔」であり、寛永年間の木活字版以降は全て「義記」となっている。詳細を見る -
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前参議教長卿集 サキノ サンギ ノリナガキョウシュウ Sakino sangi norinagakyoshu 丹鶴叢書:戊申帙
平安後期の公卿・藤原教長の私家集。約970首の和歌を収録する。詳細を見る -
京繪圖 : 新地入 キョウ エズ : シンチイリ Kyo ezu : shinchiiri 新板増補
本資料は「新板増補京絵図」と同様、林吉永により出版された京都図である。「新板増補京絵図」では街区は白抜きであったが、本資料は黒刷となっている。「新板増補京絵図」にも収録されている「洛陽七口」、「同間之近道」、「諸方へ道ノ法リ」、知恩院や黒谷等大寺院の末寺の数など地誌的な情報は、本資料にも掲載されている。詳細を見る -
江戸の増上寺に伝わる阿弥陀如来像(通称:黒本尊)の縁起。宝暦13(1763)年の写しである。本資料の前半部分の内容は増上寺の寺誌である「三縁山志」(『浄土宗全書』第19巻)所収の「黒本尊 略縁起」とほぼ同じである。ただし「三縁山志」には「略縁起」が全文掲載されていないため、本資料の後半部分はどの程度「略縁起」と一致するか不明である。詳細を見る
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改正増補京繪圖大成 カイセイ ゾウホ キョウエズ タイセイ Kaisei zoho Kyoezu taisei 3刻
文久3(1863)年、京都の竹原好兵衛により刊行された京都図。刊記には「天保五甲午年開版 文久二壬戌年再刻 文久三癸亥年三刻」とあり、天保5(1834)年に刊行された絵図の三版である。詳細を見る -
浄土教典籍目録 ジョウドキョウ テンセキ モクロク Jodokyo tenseki mokuroku
『浄土教典籍目録』は、インド・チベット・中国・韓国・日本の浄土教文献を集めたものである。詳細を見る -
檀林巡路記 ダンリン ジュンロキ Danrin junroki
増上寺の僧侶であった摂門(竹尾善筑)が記した関東十八檀林の順拝記。竹尾善筑(1781-1839)は明和事件で刑死した思想家・山縣大弐の孫であり、増上寺の寺誌である「三縁寺志」や、「十八檀林誌」なども著した。詳細を見る -
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拵弓籐割次第. 諸鞍日記 コシラエユミ トウワリ シダイ. ショアン ニッキ Koshiraeyumi towari shidai. Shoan nikki 丹鶴叢書:戊申帙
「拵弓籐割次第」は弓に施す籐の巻き方や位置、幅等について記した書。21種の事例(図)を掲載する。詳細を見る -
今昔物語集 コンジャク モノガタリシュウ Konjaku monogatarishu 丹鶴叢書:甲寅帙
平安後期の説話集。全31巻だが、現在は巻8・18・21を欠く。「丹鶴叢書」には「辛亥帙」に巻11-12、「壬子帙」に巻13-14、「癸丑帙」に巻15-16、「甲寅帙」に巻17、「庚戌帙」に巻22-31を収録する。詳細を見る -
浄土三部經附六時礼讃偈音義 ジョウド サンブキョウ フ ロクジ ライサンゲ オンギ Jodo sambukyo fu rokuji raisange ongi
浄土宗の根本聖典である三部経(「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」)および六時礼讃偈に音韻と意義とを注解した書。珠光編。「浄土三部経音義」ともいう。原本の版式は慶長元和(江戸初期)、刊行は江戸前期であると考えられている。詳細を見る -
洛中(京都の市中)の浄土宗寺院の名鑑。全8巻4冊で、巻之1には「寺鑑解義」、「浄家の寺院へ参詣せしむるに凡例是ある条々」、「寺鑑を見給ふの法」を掲載し、巻之2-8に浄土宗寺院228ヶ寺の概要(所在地、縁起等)を収録する。詳細を見る
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大坂夏御陣之図 オオサカ ナツ ゴジン ノ ズ Osaka natsu gojin no zu
大坂の陣(大坂冬の陣、夏の陣)は、徳川氏が豊臣氏を二度にわたって攻め滅ぼした戦い。本絵図はこのうち慶長20(元和元〈1615〉)年の大坂夏の陣の配陣を描いている。詳細を見る -
黒谷聖人傳繪詞 クロダニ ショウニンデン エコトバ Kurodani shoninden ekotoba
本書は知恩院蔵国宝の「法然上人行状畫図」四十八巻の詞書を片仮名交りに印成したものである。表題と本文題は「黒谷聖人伝絵詞」であるが、内題のみ「本朝祖師絵師」とある。本書は浄土教古活字版のなか片仮名の活字版として特色のあるものである。詳細を見る
