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二色刷の京都図。「嘉永五年壬子九月御免版行」、「京都六角通柳馬場西へ入町 平野屋茂兵衛板」の刊記がある。街区は墨刷りで、山は絵画的に表現されているが、寺社等の建造物の絵は他の絵図と比較すると控えめである。詳細を見る
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新増細見京繪圖 : 全 : 文化改正 シンゾウ サイケン キョウ エズ : ゼン : ブンカ カイセイ Shinzo saiken Kyo ezu : zen : Bunka kaisei
多色刷の京絵図である。刊記には「文化八年辛未閏二月御免 同十年酉春正月新刻 京 正栄堂田中吉兵衛板」(書肆の住所は省略)とあり、文化8(1811)年の刊行であることが分かるが、収録範囲や色分け等は、天明3(1783)年に京都の竹原好兵衛が刊行した「天明改正細見京絵図」などと同一の内容となっている。詳細を見る -
中古京師内外地圖 : 皇州緒餘撰部 チュウコ ケイシ ナイガイ チズ : コウシュウ チョヨセンブ Chuko keishi naigai chizu : koshu choyosembu
森幸安による絵図の写し。本資料は明治27(1894)年に作成された写本だが、原本は寛延3(1750)年に作成されている。ただし、描かれているのは作成当時の京都の姿ではなく、応仁期(1467-1469)以降、15世紀頃のものである。森幸安は数多くの絵図を手がけた人物で、日本全国の絵図を作成しているが、特に京都やその近郊、摂津国(現在の大阪府)の絵図が多く伝わっている。詳細を見る -
西園寺家車圖 サイオンジケ クルマ ノ ズ Saionjike kuruma no zu 丹鶴叢書:戊申帙
牛車の図8点を収録した書。牛車に施された装飾等が詳細に描かれる。鎌倉時代に西園寺家で用いられた牛車について、室町時代から江戸時代の初めまでにまとめたものであるという。詳細を見る -
河州交野郡山内谷々 カシュウ カタノグン サンナイ タニダニ Kashu katanogun sannai tanidani
『河内國大縣郡安宿部郡土砂留塲山内谷々圖』『山城國近江國土砂留塲山内谷々圖』(以上、標題は題簽による)『河州交野郡山内谷々』(標題は内題による)の三点が、柿渋引き染め楮(こうぞ)紙の帙に納められている。それぞれ畳物の絵地 […]詳細を見る -
多色刷の京都図。題箋や刊記がないが、内裏の西に「御用御屋敷」(京都守護職屋敷)があることなどから、幕末に刊行されたものと思われる。版面は天保14(1843)年に近江屋佐太郎により刊行された「案見京都細図」に類似する。「案見京都細図」では「三条大橋ヨリ諸方道法」の付録が添付されていたが、本資料には「京都名所方角之図」が添付されている。詳細を見る
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翻譯名義集 ホンヤク メイギシュウ fan yi ming yi ji Honyaku meigi
南宋時代に成立した梵漢辞典。刊記はないが、江戸初期刊行と推測される古活字版である。巻頭に本書編者の法雲について紹介した「蘇州景徳寺普潤大師行業記」を付す。詳細を見る -
法然上人行状略傳 ホウネン ショウニン ギョウジョウ リャクデン Honen shonin gyojo ryakuden
本書は法然上人の生涯における化導、御利益について、諸伝説に漏れたところを補い、上人の徳行を讃仰して報恩謝徳のため、愚痴の道俗をすすめんがために作られたもので、上下二巻にわけ詞と絵をもって記している。本書の題簽は殆んど判読不明であるが僅か「…光大…」とみえ、「円光大師御伝記」ではなかったかと思われる。内題は「法然上人行状略伝」である。詳細を見る -
金谷道人御一代記 キンコク ドウジン ゴイチダイキ Kinkoku dojin goichidaiki
江戸中期から後期の僧・横井金谷(1761-1832)が自らの半生を綴った絵巻。全7巻。横井金谷は、京都金谷山極楽寺の住職であった。現在伝わる「金谷上人御一代記」の写本は、冊子本の体裁であるものも多いというが、本学所蔵のものは巻子本で、各巻頭に「金谷」「大寶主人」印がある。詳細を見る -
室町殿春日詣記 ムロマチドノ カスガ モウデキ Muromachidono kasuga modeki 丹鶴叢書:戊申帙
明徳2(1391)年9月に室町殿(将軍足利義満)が春日大社に参詣した際の記録。同行者の服装や従者の人数を記録している。詳細を見る -
東大寺、唐招堤寺、薬師寺、石山寺その他の多数の全国各地の名刹の所属する古写経、版本大蔵経などからの題跋類を収録したものである。今日ではその所在を佚したものも多く、日本考証学上の貴重な資料として知られる。詳細を見る
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京都の亀屋清兵衛により宝永6(1709)年に刊行された京都図。当館所蔵の京都図の中では最も古いものである。街区は墨刷で、一部手彩色がある。通り名や各藩の京都屋敷、公家町は詳細に書き込まれている。詳細を見る
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基盛朝臣鷹狩記 モトモリ アソン タカガリキ Motomori ason takagariki 丹鶴叢書:癸丑帙
鷹狩の歴史と故事等をまとめた書。持明院基盛の著作と言われてきたが、少なくとも前三分の二は西園寺実兼の著作であったと考えられている。詳細を見る -
大經直談要註記 ダイキョウ ジキダン ヨウチュウキ Daikyo jikidan yochuki
浄土宗の根本聖典である浄土三部経(「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」)のうち「無量寿経」の注釈書。浄土宗第八祖・聖聰の著。永享5年(1433)成立。全24巻だが、本学所蔵のものは巻5-8、11-12の6巻のみが残っている。詳細を見る -
選擇傳弘决疑鈔 センチャク デング ケツギショウ Senchaku dengu ketsugisho 寛永期 古活字版
浄土宗第三祖の良忠による『選択集』の注釈書。古活字版。「選擇傳弘決疑鈔」の古活字版は『浄土教古活字版図録』によれば慶長14(1609)年版、慶長19(1614)年版、無刊記本があるが、これらはいずれも本資料と異なる活字を用いている。詳細を見る -
本資料は林吉永により出版された京都図である。本資料は他の京都図と同様、寺社名、各藩京都屋敷名、御土居等を掲載する他、「洛陽七口」、「同間之近道」、「諸方へ道ノ法リ」、知恩院や黒谷等大寺院の末寺の数など地誌的な情報も掲載されている。詳細を見る
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今昔物語集 コンジャク モノガタリシュウ Konjaku monogatarishu 丹鶴叢書:庚戌帙 - 辛亥帙
平安後期の説話集。全31巻だが、現在は巻8・18・21を欠く。「丹鶴叢書」には「辛亥帙」に巻11-12、「壬子帙」に巻13-14、「癸丑帙」に巻15-16、「甲寅帙」に巻17、「庚戌帙」に巻22-31を収録する。詳細を見る -
釋浄土二藏義 シャク ジョウド ニゾウギ Shaku jodo nizogi 本泉寺旧蔵本
「釈浄土二蔵義」は、法然上人依頼の浄土宗義を集大成した書で、浄土宗第七祖の聖冏(1341-1420)の著。本書には刊記がなく正確な刊年は不明であるが、寛永5年以前の刊行と考えられる。また、もとは本泉寺、圓徳寺で所蔵されていたことが分かる。詳細を見る -
洛中(京都の市中)の浄土宗寺院の名鑑。全8巻4冊で、巻之1には「寺鑑解義」、「浄家の寺院へ参詣せしむるに凡例是ある条々」、「寺鑑を見給ふの法」を掲載し、巻之2-8に浄土宗寺院228ヶ寺の概要(所在地、縁起等)を収録する。詳細を見る
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丹鶴圖譜 調度部 タンカク ズフ チョウドブ Tankaku zufu chodobu 丹鶴叢書:丹鶴外書
宮中行事の際の装束・調度などについて記した平安末期成立の書「類従雑要抄」のうちの調度の部分を印刷刊行したもの。詳細を見る -
天保改正袖中京繪圖 テンポウ カイセイ シュウチュウ キョウ エズ Tempo kaisei shuchu Kyo ezu
多色刷の京都図。本資料刊行の約50年前の天明6(1786)年には、「天明新板袖中京絵図」が本資料と同じ版元(竹原好兵衛)から出版されている。「天明新板袖中京絵図」と本資料は、サイズはほぼ同じだが、資料名に「天保改正」とあるとおり、ところどころ修正されているため、全くの同版ではない。詳細を見る -
觀經散善義傳通記 カンギョウ サンゼンギ デンズウキ Kangyo sanzengi denzuki 觀經疏傳通記
浄土宗第三祖良忠(一一九九-一二八七)撰。善導の観経疏四巻を注釈したもので、玄義分記六巻、序分義記三巻、定善義記三巻、散善義記三巻の計十五巻の書。詳細を見る -
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信實朝臣家集撰 ノブザネ アソン カシュウセン Nobuzane ason kashusen 丹鶴叢書:己酉帙
藤原信実の歌集。約200首を収録する。藤原信実は鎌倉時代の歌人で、画家でもあった。詳細を見る -
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觀經定善義傳通記 カンギョウ ジョウゼンギ デンズウキ Kangyo jozengi denzuki 觀經疏傳通記
浄土宗第三祖良忠(一一九九-一二八七)撰。善導の観経疏四巻を注釈したもので、玄義分記六巻、序分義記三巻、定善義記三巻、散善義記三巻の計十五巻の書。詳細を見る -
選擇傳弘决疑鈔 センチャク デング ケツギショウ Senchaku dengu ketsugisho 江戸初期 古活字版
建長六年(1254)、良忠(1199-1287、浄土宗第三祖)が下総地方の教化によって鏑木九郎の帰依を受け、匝瑳郡鏑木に住んでいたころに辨長(1162-1238、浄土宗第二祖)から授けられた『選擇本願念佛集』を註解したもの。本書には刊記も年記もないため刊行にかかる確証をうることはできないが、江戸初期の古活字版と推定される。詳細を見る -
両面刷で、片面は京都図、もう片面は京都見物の際に有用な「京三条大橋ヨリ方角道法」、「京都縦横町小路並異名」などの記事を掲載する。京都図のある面は多色刷で、もう一方の面は単色刷である。他の京都図と比較して、内裏周辺や二条城が特に詳細に描かれている。詳細を見る
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十二月あそひ ジュウニツキ アソビ Junitsuki asobi
正月から極月(十二月)にいたるまで内裏、京の町々を中心に伝わる年中行事や遊びの数々、季節の自然などが月ごとに描かれ、その様子が絵と詞、交互に書き連ねられています。詳細を見る -
九條家車圖 クジョウケ クルマ ズ Kujoke kuruma zu 丹鶴叢書:戊申帙
牛車の図8点を収録した書。牛車に施された装飾等が詳細に描かれる。「九条家車図」という題は後に付与されたもので、全てが九条家の牛車を描いたものというわけではなく、「平安時代以来摂関家で乗用された牛車を図示したものに、鎌倉時代前期に近衛家で制作した牛車絵を増補したもの」であると考えられている。詳細を見る -
懐寳京繪圖 : 全 カイホウ キョウ エズ : ゼン Kaiho Kyo ezu : zen
単色刷の京都図。街区は墨刷りで表されている。刊記がないため、刊行年や版元は不明だが、内裏の形態から寛保・宝暦期(1741-1763)のものと推測される。詳細を見る -
往生要集義記 オウジョウ ヨウシュウ ギキ Ojo yoshu giki 寛永18年版
浄土宗第三祖良忠撰。源信『往生要集』の注釈書である。『往生要集義記』の伝本には『往生要集鈔』と『往生要集義記』という二種類の表題があり、成立の早い写本・版本には『往生要集鈔』、遅いものには『往生要集義記』の名が付けられている。本書の巻末には「寛永辛巳仲冬日 / 書舎理兵衛刊行」の刊記が入る。詳細を見る -
改正分間新撰京繪圖 カイセイ ブンケン シンセン キョウエズ Kaisei bunken shinsen Kyoezu
両面単色刷の京都図。表面には京都の詳細な絵図を、裏面には「京三条大橋ヨリ方角道法」、「親戚九族図」、「京都縦横町小路 並異名」、「不成就日」など、旅行や神仏参詣の際に有益な情報が掲載されている。詳細を見る -
『いはや』の書名については、置き去りにされた主人公の姫が一時期育てられた住居に因むものであり、『岩屋の草子』『岩屋』『岩屋物語』『岩屋姫物語』『対の屋姫物語』などの多様な名称で呼ばれている。詳細を見る
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古今都細見之圖 : 全 ココン ミヤコ サイケン ノ ズ : ゼン Kokon miyako saiken no zu : zen
旧平安京条坊図の上に両面刷別紙図(洛中および千本通以西の畑地等)を重ねて糸綴じし、古今を対照した絵図。文久3(1863)年に開通した西高瀬川に関する記載(「西高瀬新川筋」など)があることから、文久3年以降に刊行されたものと考えられる。詳細を見る -
嘉永改正新選亰繪圖 カエイ カイセイ シンセン キョウエズ Kaei kaisei shinsen Kyo ezu
多色刷の京都図。刊記に「嘉永五年壬子初春三刻 皇都書林 竹原好兵衛版元」とある。版元は京都図を数多く出版した竹原好兵衛である。他の竹原好兵衛版の京都図は街路が赤い筋で表示されていることが多いが、この図は街区が黄色で表示されている。本資料でも、山々や寺社等の建造物が絵画的に表現され、小路名などが詳細に書き込まれている。詳細を見る -
中昔京師地圖 : 皇州緒餘撰部 ナカムカシ ケイシ チズ : コウシュウ ショヨセンブ Nakamukashi keishi chizu : koshu shoyosembu
森幸安が手がけた絵図の写し。応仁元(1467)年から天正期(1573-1591)までの約120年間の京都の状況を考証し、作成された。天正15(1587)年に完成した豊臣秀吉の公邸・聚楽第は本資料には描かれていない。森幸安は数多くの絵図を手がけた人物で、日本全国の絵図を作成しているが、特に京都やその近郊、摂津国(現在の大阪府)の絵図が多く伝わっている。詳細を見る -
法然上人法語抜萃 ホウネン ショウニン ホウゴ バッスイ Honen shonin hogo bassui
法然の法語の注釈書。8巻7冊。著者は「菩薩戒ノ弟子聴雨述ス」とあるが、この「聴雨」については不明。無刊記であるが、本文末に「寛文十二年の春これを述す」とあり、寛文12年に近い年に刊行されたものと推測される。内容は、法語を引用した後、「此心は・・・」という書き出しでその意味を説く。詳細を見る -
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京圖名所鑑 : 改正两面 キョウズ メイショ カガミ : カイセイ リョウメン Kyozu meisho kagami : kaisei ryomen
本資料は安永7(1778)年に京都の菊屋長兵衛により出版された京都図である。裏面に京都の神社仏閣などの名所の案内記がある。両面とも単色刷である。街区は墨刷ではなく白抜きとなっている。他の京絵図と同様、寺社名、各藩の京都屋敷の所在地、御土居等を記す。詳細を見る -
選擇要决 1巻 センチャク ヨウケツ 1カン Senchaku yoketsu 1kan
法然房源空(1133-1212)の主著『選択本願念仏集』について遺弟たちの間から出た異議を10か条に整理し、一つ一つ反論したもの。鎌倉時代初期の浄土宗僧・勢観房源智(1183-1238)が嘉禎2年(1236)に撰述したと […]詳細を見る -
元治改正新増細見京繪圖大全 ゲンジ カイセイ シンゾウ サイケン キョウ エズ タイゼン Genji kaisei shinzo saiken Kyo ezu taizen
多色刷の京都図。刊記には「天保五甲午年開版 文久二壬戌年再刻 文久三癸亥年三刻 京都書林 竹原好兵衞版元」とあるが、表紙の題箋には「元治改正 新増細見京絵図大全」とあり、文久から元治に改元された後に販売されたものであることが分かる。詳細を見る -
多色刷の京都図である。道筋を赤線で示す。刊記に「天保五甲午年開板 文久二壬戌年再板 京三條通寺町西へ入ル 竹原好兵衛版元」とあり、天保5(1834)年版を文久2(1862)年に再版したものであることがわかる。詳細を見る
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「紫式部日記画巻」(紫式部日記絵巻)は、「紫式部日記」のうち消息文をのぞいた部分を詞書とし、絵画化した絵巻物である。鎌倉時代初期の作とされる。現存する詞書23段と絵24段のうち、後半部分の詞書6段、絵11段が収録されている。「日本總国風土記」は牟差国(武蔵国)部分のみを収録する。表紙には墨書で「武蔵風土記」とある。詳細を見る
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改正京繪圖 : 全 カイセイ キョウ エズ : ゼン Kaisei Kyo ezu : zen
単色刷の京都図。刊記には「京書林 丸屋善兵衛」とあるのみで、刊行年は記されていないが、内裏の配置から天保期(1830-1843)の図と推測される。街区は白抜きで表され、洛外の山々や寺社等は絵画的に表現されている。詳細を見る -
浄土教典籍目録 ジョウドキョウ テンセキ モクロク Jodokyo tenseki mokuroku
『浄土教典籍目録』は、インド・チベット・中国・韓国・日本の浄土教文献を集めたものである。詳細を見る -
拵弓籐割次第. 諸鞍日記 コシラエユミ トウワリ シダイ. ショアン ニッキ Koshiraeyumi towari shidai. Shoan nikki 丹鶴叢書:戊申帙
「拵弓籐割次第」は弓に施す籐の巻き方や位置、幅等について記した書。21種の事例(図)を掲載する。詳細を見る -
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無量壽經鈔 ムリョウジュキョウショウ Muryojukyosho 慶長版
鎌倉時代の僧・了慧道光(1243-1330)が永仁4年(1296)に撰述した「仏説無量壽経」の注釈書。本書は「洛陽七條寺内平井近江法橋良專開板/于時慶長二十年乙夘初夏上旬」の刊記をもつ古活字版である。詳細を見る -
京圖鑑綱目 : 名所手引 キョウ ズカン コウモク : メイショ テビキ Kyo zukan komoku : meisho tebiki
表面に京都図、裏面に「名所手引案内」を収録する。宝暦4(1754)年、菊屋長兵衛等により刊行された。図中には寺社名、各藩京都屋敷名や通り名、御土居等を掲載する他、「三条大橋より道のり附」があり、三条大橋から「禁中様」、「金かく寺」、「知恩院」などへの距離が記されている。詳細を見る -
[懐寳京繪圖] カイホウ キョウ エズ Kaiho Kyo ezu
「懐宝京絵図」とほぼ同じ内容の京都図で、刊記も同一のものが入っているが、赤で刷られた道筋は細かい相違が見られる。また本資料には五山の舟形と妙法が赤で刷られているが、「懐宝京絵図」の方にはそれが見られない。詳細を見る -
無量壽經鈔 ムリョウジュキョウショウ Muryojukyosho 寛永版
鎌倉時代の僧・了慧道光(1243-1330)が永仁4年(1296)に撰述した「仏説無量壽経」の注釈書。本書は「寛永元甲子暦 六條西寺内開板」の刊記をもつ古活字版である。本学ではこのほか慶長20(1615)年の古活字版を2本所蔵している。詳細を見る -
多色刷の京都図。図中には刊行年が記されていないが、袋に天保5(1834)年改正である旨が記されているものがあるという(当館所蔵本には袋なし)。 版元の竹原好兵衛は数多くの京都図を手がけた書肆で、本資料を改正した「文久改正新増細見京絵図大全」、「元治改正新増細見京絵図大全」を出版している。詳細を見る
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觀經玄義分傳通記 カンギョウ ゲンギブン デンズウキ Kangyo gengibun denzuki 觀經疏傳通記
浄土宗第三祖良忠(一一九九-一二八七)撰。善導の観経疏四巻を注釈したもので、玄義分記六巻、序分義記三巻、定善義記三巻、散善義記三巻の計十五巻の書。詳細を見る -
長澤庄兵衛、上村四郎兵衛等により享保10(1725)年に出版された京都図。単色刷であるが、一部に手彩色がある。街区は墨刷で、各藩の京都屋敷や寺社名などの表示はあるが、他の京大絵図と比較すると情報量は少ない。絵図の下部に「花洛神社仏閣の享保十巳ノ年迄年数」を掲載している。詳細を見る
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「前川五郎左衛門家文書」は、京都六角本能寺町に居を構えた前川五郎左衛門家に由来をもつ文書群です。前川家は、両替商をはじめ京都御用米会所貸付方や禁裏御香水役など、近世京都において多彩な活動に従事しました。本文書群は、こうした活動を伝える文書類を中心に、約3万点の資料から構成されています。詳細を見る
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選擇傳弘决疑鈔 センチャク デング ケツギショウ Senchaku dengu ketsugisho 寛永9年版
建長六年(1254)、良忠(1199-1287、浄土宗第三祖)が下総地方の教化によって鏑木九郎の帰依を受け、匝瑳郡鏑木に住んでいたころに辨長(1162-1238、浄土宗第二祖)から授けられた『選擇本願念佛集』を註解したもの。本書は「寛永九年壬申仲秋吉旦 新刊」の刊記はあるが、版元は記されていない。詳細を見る
