書体
:書体の個性に注目し、作品中の文字を切り取って表示しています。作品タイトル単位での表示です。-
-
嘉永改正新選亰繪圖 カエイ カイセイ シンセン キョウエズ Kaei kaisei shinsen Kyo ezu
多色刷の京都図。刊記に「嘉永五年壬子初春三刻 皇都書林 竹原好兵衛版元」とある。版元は京都図を数多く出版した竹原好兵衛である。他の竹原好兵衛版の京都図は街路が赤い筋で表示されていることが多いが、この図は街区が黄色で表示されている。本資料でも、山々や寺社等の建造物が絵画的に表現され、小路名などが詳細に書き込まれている。詳細を見る -
改正再刻亰都區組分細圖 カイセイ サイコク キョウトク クミワケ サイズ Kaisei saikoku Kyotoku kumiwake saizu
銅版多色刷の京都図。街区は色分けされ、漢数字で番号が振られているが、これは町組の番号である。各組には小学校が設置された。図の下には各組に設置された小学校の一覧がある。また郵便局の位置も記載がある。図中では寺社などの主要な建造物の他、郊外の集落や列車の姿も絵画的に表現されている。編輯者の橋本澄月は主に幕末期に活動した京都の銅版画家である。詳細を見る -
選擇傳弘决疑鈔 センチャク デング ケツギショウ Senchaku dengu ketsugisho 寛永9年版
建長六年(1254)、良忠(1199-1287、浄土宗第三祖)が下総地方の教化によって鏑木九郎の帰依を受け、匝瑳郡鏑木に住んでいたころに辨長(1162-1238、浄土宗第二祖)から授けられた『選擇本願念佛集』を註解したもの。本書は「寛永九年壬申仲秋吉旦 新刊」の刊記はあるが、版元は記されていない。詳細を見る -
-
日本書紀 ニホン ショキ Nihon shoki 丹鶴叢書:辛亥帙
奈良時代に成立した日本最初の編年体の歴史書。全30巻のうち、「丹鶴叢書」では神代巻の上下2巻を収録する。嘉元4(1306)年に書写された写本を模刻している。詳細を見る -
元治改正京名所道の枝折圖 ゲンジ カイセイ ミヤコ メイショ ミチ ノ シオリ ノ ズ Genji kaisei miyako meisho michi no shiori no zu
元治元(1864)年、京都の小川多右衛門等によって刊行された京都図。図中には「宮御門跡方」、「公武御屋敷方」、「神社」、「寺院」などが色分けで表示され、主要な寺社名や各藩の京都屋敷の所在地が書き込まれている。裏面では神社仏閣の紹介文を掲載すると共に、三条大橋を出発地として各地を六日間でまわる順路を示している。詳細を見る -
選擇傳弘决疑鈔 センチャク デング ケツギショウ Senchaku dengu ketsugisho 寛永期 古活字版
浄土宗第三祖の良忠による『選択集』の注釈書。古活字版。「選擇傳弘決疑鈔」の古活字版は『浄土教古活字版図録』によれば慶長14(1609)年版、慶長19(1614)年版、無刊記本があるが、これらはいずれも本資料と異なる活字を用いている。詳細を見る -
[平安京御繪圖 : 并ニ名所ひとり案内] ヘイアン キョウ オエズ : ナラビニ メイショ ヒトリ アンナイ Heian kyo oezu : narabini meisho hitori annai
単色刷の京絵図。本体には題が入っていないが、多色刷の袋に「平安京御絵図 并名所ひとり案内」の題がある。図の裏面には「京名所独案内 道法附」があり、清水寺や金閣寺といった京都の名所の紹介文と、それぞれの地点間の距離及び方角が記されている。詳細を見る -
無量壽經鈔 ムリョウジュキョウショウ Muryojukyosho 寛永版
鎌倉時代の僧・了慧道光(1243-1330)が永仁4年(1296)に撰述した「仏説無量壽経」の注釈書。本書は「寛永元甲子暦 六條西寺内開板」の刊記をもつ古活字版である。本学ではこのほか慶長20(1615)年の古活字版を2本所蔵している。詳細を見る -
勅命を受けた源頼光による鬼退治談で、絵巻物に仕立てられた奈良絵本。都でのシーンが多く登場する『羅生門』に比して、『大江山奇譚』はその名のごとく、都の郊外、荒々しい千丈ヶ嶽(大江山)、不気味な鬼ヶ城を描く場面に絵や詞の多くが割かれている。詳細を見る
-
明治22年(1889年)に、浄土教報社により創刊された、浄土宗を主体とする逐次刊行物です。当サイトでは1号から2472号までの全てを欠号なく収録し、一部の附録についても、これを公開しております。詳細を見る
-
-
多色刷の京都図である。道筋を赤線で示す。刊記に「天保五甲午年開板 文久二壬戌年再板 京三條通寺町西へ入ル 竹原好兵衛版元」とあり、天保5(1834)年版を文久2(1862)年に再版したものであることがわかる。詳細を見る
-
今昔物語集 コンジャク モノガタリシュウ Konjaku monogatarishu 丹鶴叢書:甲寅帙
平安後期の説話集。全31巻だが、現在は巻8・18・21を欠く。「丹鶴叢書」には「辛亥帙」に巻11-12、「壬子帙」に巻13-14、「癸丑帙」に巻15-16、「甲寅帙」に巻17、「庚戌帙」に巻22-31を収録する。詳細を見る -
大系圖画引便覽 オオケイズ カクビキ ベンラン Okeizu kakubiki benran 丹鶴叢書:丹鶴外書
「大系図」に掲載されている人物を名前の画数から引くことができるように作成された索引。「大系図」とは南北朝期に編纂された系譜集である「尊卑分脈」を指す。詳細を見る -
京圖鑑綱目 : 名所手引 キョウ ズカン コウモク : メイショ テビキ Kyo zukan komoku : meisho tebiki
表面に京都図、裏面に「名所手引案内」を収録する。宝暦4(1754)年、菊屋長兵衛等により刊行された。図中には寺社名、各藩京都屋敷名や通り名、御土居等を掲載する他、「三条大橋より道のり附」があり、三条大橋から「禁中様」、「金かく寺」、「知恩院」などへの距離が記されている。詳細を見る -
法然の遺文集「黒谷上人語燈録」のうち、和語で書かれた「和語燈録」第4巻の「十二問答」部分の写本である。ただし問答の数は一つ少ない十一である。本文末尾に「康永二年十一月十八日 佛子祐玄(花押)」とあることから、本書は康永2年(1256)の書写と考えられる。詳細を見る
-
-
蒙古襲来繪詞 モウコ シュウライ エ コトバ Moko shurai e kotoba 丹鶴叢書:己酉帙
肥後国の御家人・竹崎季長が文永・弘安の役における自分の戦功を描かせた絵巻を、冊子体の版本とした書。絵の部分に彩色はないが、「アサキ」、「朱」などの色の指定がある。詳細を見る -
法然上人行状略傳 ホウネン ショウニン ギョウジョウ リャクデン Honen shonin gyojo ryakuden
本書は法然上人の生涯における化導、御利益について、諸伝説に漏れたところを補い、上人の徳行を讃仰して報恩謝徳のため、愚痴の道俗をすすめんがために作られたもので、上下二巻にわけ詞と絵をもって記している。本書の題簽は殆んど判読不明であるが僅か「…光大…」とみえ、「円光大師御伝記」ではなかったかと思われる。内題は「法然上人行状略伝」である。詳細を見る -
「紫式部日記画巻」(紫式部日記絵巻)は、「紫式部日記」のうち消息文をのぞいた部分を詞書とし、絵画化した絵巻物である。鎌倉時代初期の作とされる。現存する詞書23段と絵24段のうち、後半部分の詞書6段、絵11段が収録されている。「日本總国風土記」は牟差国(武蔵国)部分のみを収録する。表紙には墨書で「武蔵風土記」とある。詳細を見る
-
往生要集鈔 オウジョウ ヨウシュウショウ Ojo yoshusho 室町期写本
「往生要集鈔」の伝本の標題は「往生要集鈔」と「往生要集義記」の二種がある。写本や成立の早い版本は「鈔」であり、寛永年間の木活字版以降は全て「義記」となっている。詳細を見る -
天保改正京都指掌圖 テンポウ カイセイ キョウト シショウズ Tempo kaisei Kyoto shishozu
単色刷の京絵図。「天保十一年子初春発行 京繪圖 京三条通寺町 竹原好兵衞梓」の刊記がある。また「編圖洛士 池田東籬主人」とあり、多くの京都名所案内を手がけた池田東籬亭が本資料の作図に関わっていることが分かる。詳細を見る -
觀經序分義傳通記 カンギョウ ジョブンギ デンズウキ Kangyo jobungi denzuki 觀經疏傳通記
浄土宗第三祖良忠(一一九九-一二八七)撰。善導の観経疏四巻を注釈したもので、玄義分記六巻、序分義記三巻、定善義記三巻、散善義記三巻の計十五巻の書。詳細を見る -
選擇本願念佛集 センチャク ホンガン ネンブツシュウ Senchaku hongan nembutsushu 江戸初期版
建久九年、九条兼実の要請に応じて法然が撰述したもので、京都廬山寺に現存する草稿本は、標題「選択本願念仏集」と冒頭「南無阿弥陀仏 往生之業念仏為先」の二十一字が源空自筆と伝えられる(重要文化財)。本書には刊記も年記もないため刊行にかかる確証をうることはできないが、江戸初期あるいはそれ以前の古活字版と推定される。詳細を見る -
千とせのためし チトセ ノ タメシ Chitose no tameshi 丹鶴叢書:丹鶴外書
和歌山藩の付家老で新宮城主、「丹鶴叢書」の編纂者でもある水野忠央が編纂した古筆・古美術品等の図録。詳細を見る -
洛中(京都の市中)の浄土宗寺院の名鑑。全8巻4冊で、巻之1には「寺鑑解義」、「浄家の寺院へ参詣せしむるに凡例是ある条々」、「寺鑑を見給ふの法」を掲載し、巻之2-8に浄土宗寺院228ヶ寺の概要(所在地、縁起等)を収録する。詳細を見る
-
三條中山口傳 サンジョウ ナカヤマ クデン Sanjo nakayama kuden 丹鶴叢書:庚戌帙
鎌倉時代の公卿・三条公房が、朝廷の儀式等に関して、その父実房と外舅中山忠親の口伝を記した書。詳細を見る -
麒麟論私釋 キリンロン シシャク Kirinron shishaku
良定(1552-1639)の著。良定(袋中)は江戸前期の浄土宗の僧で、慶長8(1603)年、明に渡ろうとして琉球に漂着し、尚寧王の帰依をうけて桂林寺を開いた。本資料は良定没後の寛永21(1643)年に京都の書肆村上平楽寺から刊行されている。詳細を見る -
本資料は北辺を欠き、資料名も記されていない。また、刊記がなく、出版者や出版年も不明であるが、図の左下に「印付」(凡例)があり、「元禄又ハ宝永此かた享保ニいたりできたる新地」という記述があることから、本資料は少なくとも享保(1716-1735)以後の成立であることが分かる。詳細を見る
-
新正京都細繪圖 : 懐寳銅鐫 シンセイ キョウト サイエズ : カイホウ ドウセン Shinsei Kyoto saiezu : kaiho dosen
多色刷銅版の京都図。明治10(1877)年に刊行されている。御土居の表示はあるが、鉄道路線や「裁判所」などの近代的な施設も記されている。街区は色分けされ、漢数字で番号が振られているが、これは町組の番号である。各組には小学校が設置された。図の下には各組に設置された小学校の一覧がある。詳細を見る -
太田正順氏により書写・収集された絵図コレクションのうちの一つで、「太田家庫」の印と、「明治三十五壬寅年三月写 太田正順」の墨書がある。本資料に描かれている「関ヶ原御合戦」とは慶長5(1600)年の関ヶ原の戦のことで、徳川家康率いる東軍と、石田三成率いる西軍が美濃(濃州)の関ヶ原で行った合戦である。本資料は明治35(1902)年の写であるが、徳川家康の陣を「御本陣」としていることから、原本は江戸時代に作成されたものと考えられる。詳細を見る
-
古今都細見之圖 : 全 ココン ミヤコ サイケン ノ ズ : ゼン Kokon miyako saiken no zu : zen
旧平安京条坊図の上に両面刷別紙図(洛中および千本通以西の畑地等)を重ねて糸綴じし、古今を対照した絵図。文久3(1863)年に開通した西高瀬川に関する記載(「西高瀬新川筋」など)があることから、文久3年以降に刊行されたものと考えられる。詳細を見る -
[懐寳京繪圖] カイホウ キョウ エズ Kaiho Kyo ezu
「懐宝京絵図」とほぼ同じ内容の京都図で、刊記も同一のものが入っているが、赤で刷られた道筋は細かい相違が見られる。また本資料には五山の舟形と妙法が赤で刷られているが、「懐宝京絵図」の方にはそれが見られない。詳細を見る -
資料中に書名が入っていないため、資料名は仮名である。多色刷で、凡例はないが寺院は濃い赤、神社や公家屋敷は薄い赤、武家屋敷は緑などと色分けされている。枠外には「文化七年庚午新改正 京都寺町通四条下ル弐丁目 菊屋長兵衛蔵板」とある。菊屋長兵衛は本資料の他にも京都図を数多く出版している。詳細を見る
-
釋奠供物圖 . 諸陵雜事注文 セキテン クモツズ . ショリョウ ゾウジ チュウモン Sekiten kumotsuzu . Shoryo zoji chumon 丹鶴叢書:戊申帙
「釋奠供物圖」は、弘安年間(1278-1288)に行われた釈奠の供物を記録した書。釈奠とは、孔子とその弟子たちを祭る儀式である。「諸陵雑事注文」は、正治2(1200)年成立の書で、各地の天皇陵における供物等について記録している。詳細を見る -
案見京都細圖 アンケン キョウト サイズ Anken Kyoto saizu
多色刷の京都図。「校者 洛士 池田東籬主人考并圖書」「天保十四年卯秋 京寺町通綾小路下ル町 書林 近江屋佐太郎板元」との刊記がある。町筋・道筋や寺社等が色分けされて示される。道筋を赤線で表す方法は近江屋以外の書肆が刊行した京都図でも見られる。詳細を見る -
-
改正京繪圖 カイセイ キョウ エズ Kaisei Kyo ezu
単色刷の京都図。「安永九子九月御免 文化二丑仲秋開版」の刊記がある。洛外の山々は絵画的に表現されているが、寺院・神社等は門等が簡単に描かれるのみである。また、他の京都図で見られるような、三条大橋から各地への距離や、京の七口等の情報も掲載されておらず、全体的に簡略化された内容となっている。詳細を見る -
江戸の増上寺に伝わる阿弥陀如来像(通称:黒本尊)の縁起。宝暦13(1763)年の写しである。本資料の前半部分の内容は増上寺の寺誌である「三縁山志」(『浄土宗全書』第19巻)所収の「黒本尊 略縁起」とほぼ同じである。ただし「三縁山志」には「略縁起」が全文掲載されていないため、本資料の後半部分はどの程度「略縁起」と一致するか不明である。詳細を見る
-
承久兵乱記 ジョウキュウ ヘイランキ Jokyu heiranki
承久3(1221)年に起こった承久の乱の顛末を記した軍記物語である。「承久記」ともいう。「承久記」は作者・成立年代とも未詳だが、慈光寺本が最も古態を残していると言われ、その後流布本が成立し、それを抄出したものが前田家本であると見られている。本資料はその前田家本の系統であり、元和年間(1615~1623)の書写であると考えられている。詳細を見る -
觀經散善義傳通記 カンギョウ サンゼンギ デンズウキ Kangyo sanzengi denzuki 觀經疏傳通記
浄土宗第三祖良忠(一一九九-一二八七)撰。善導の観経疏四巻を注釈したもので、玄義分記六巻、序分義記三巻、定善義記三巻、散善義記三巻の計十五巻の書。詳細を見る -
基盛朝臣鷹狩記 モトモリ アソン タカガリキ Motomori ason takagariki 丹鶴叢書:癸丑帙
鷹狩の歴史と故事等をまとめた書。持明院基盛の著作と言われてきたが、少なくとも前三分の二は西園寺実兼の著作であったと考えられている。詳細を見る -
往生要集抄 オウジョウ ヨウシュウ ショウ Ojo yoshu sho 古活字版
鎌倉時代の僧・良忠(1199-1287)が撰述した源信「往生要集」の注釈書。巻下第1、巻中第2のみが合冊となっている、古活字版である。詳細を見る -
授菩薩戒儀則 ジュ ボサツカイ ギソク Ju bosatsukai gisoku
本書は、浄土宗における授戒作法を示した(1)『授菩薩戒儀則』、(2)『授菩薩戒儀』、そして説戒作法を示した(3)『圓頓菩薩戒布薩式』の三部が合冊された享保10年(1725)の写本です。詳細を見る -
翻譯名義集 ホンヤク メイギシュウ fan yi ming yi ji Honyaku meigi
南宋時代に成立した梵漢辞典。刊記はないが、江戸初期刊行と推測される古活字版である。巻頭に本書編者の法雲について紹介した「蘇州景徳寺普潤大師行業記」を付す。詳細を見る -
黒谷上人語燈録 クロダニ ショウニン ゴトウロク Kurodani shonin gotoroku
望西楼了慧道光(1243-1330)編。法然上人の著述・法語・消息のうち和語のものだけを集めたもの。本篇五冊と拾遺二冊より成る。本篇は文永12(1275)年の編集になるが、拾遺の編集年時は未詳。詳細を見る -
-
西園寺家車圖 サイオンジケ クルマ ノ ズ Saionjike kuruma no zu 丹鶴叢書:戊申帙
牛車の図8点を収録した書。牛車に施された装飾等が詳細に描かれる。鎌倉時代に西園寺家で用いられた牛車について、室町時代から江戸時代の初めまでにまとめたものであるという。詳細を見る -
丹鶴圖譜 調度部 タンカク ズフ チョウドブ Tankaku zufu chodobu 丹鶴叢書:丹鶴外書
宮中行事の際の装束・調度などについて記した平安末期成立の書「類従雑要抄」のうちの調度の部分を印刷刊行したもの。詳細を見る -
資料中に書名が入っていないため、資料名は仮名である。枠外には「文政七甲申年改板 京寺町通仏光寺上ル町 菊屋長兵衛板」とある。菊屋長兵衛は本資料の他にも京都図を数多く出版している。本資料では、他の京都図と同様、寺社や山川が絵画的に描かれているが、比較的簡略な表現となっている。詳細を見る
-
平治物語 ヘイジ モノガタリ Heiji monogatari
軍記物語の一つ。『平治記』ともいう。『保元物語』『平家物語』『承久記』とあわせ四部合戦状とも称される。通例、三巻三冊で構成される。詳細を見る -
-
文久改刻繁榮京都御繪圖 : 平野屋版 ブンキュウ カイコク ハンエイ キョウト オエズ : ヒラノヤバン Bunkyu kaikoku hanei Kyoto oezu : hiranoyaban
多色刷の京都図。「文久三年癸亥春改正再刻 皇都六角通柳馬塲西入町 御絵図司 翠松園 平野屋茂兵衛版元」の刊記が入り、「図書竝校訂 四方春翠」とある。四方春翠(よもしゅんすい)は版元の平野屋茂兵衛のことで、のちに廃業して銅板絵師となった。詳細を見る -
都名所百景 後半 ミヤコ メイショ ヒャッケイ コウハン Miyako meisho hyakkei kohan
『都名所百景』は、江戸時代後期に梅川東居、歌川北水ら5人の絵師が手がけ、大阪の版元石和により刊行された彩色木版画です。幕末の京都・洛中洛外における名所100景を網羅しています。詳細を見る -
釋淨土二藏義 シャク ジョウド ニゾウギ Shaku jodo nizogi 光慶寺旧蔵本
「釈浄土二蔵義」は、法然上人以来の浄土宗義を集大成した書で、浄土宗第七祖の聖冏(1341-1420)の著。本書は寛永5年以前の出版であり、伏見の光慶寺で所蔵されていた。詳細を見る -
和泉式部續集 イズミシキブ ゾクシュウ Izumishikibu zokushu 丹鶴叢書:丁未帙
平安中期の歌人・和泉式部の歌集である「和泉式部集」のうちの続集。正集、続集、宸翰本、松井本の四種からなるうちの一つで、平安末期頃に成立したとされる。詳細を見る -
