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浄土教典籍目録 ジョウドキョウ テンセキ モクロク Jodokyo tenseki mokuroku
『浄土教典籍目録』は、インド・チベット・中国・韓国・日本の浄土教文献を集めたものである。詳細を見る -
洛中(京都の市中)の浄土宗寺院の名鑑。全8巻4冊で、巻之1には「寺鑑解義」、「浄家の寺院へ参詣せしむるに凡例是ある条々」、「寺鑑を見給ふの法」を掲載し、巻之2-8に浄土宗寺院228ヶ寺の概要(所在地、縁起等)を収録する。詳細を見る
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元治改正新増細見京繪圖大全 ゲンジ カイセイ シンゾウ サイケン キョウ エズ タイゼン Genji kaisei shinzo saiken Kyo ezu taizen
多色刷の京都図。刊記には「天保五甲午年開版 文久二壬戌年再刻 文久三癸亥年三刻 京都書林 竹原好兵衞版元」とあるが、表紙の題箋には「元治改正 新増細見京絵図大全」とあり、文久から元治に改元された後に販売されたものであることが分かる。詳細を見る -
京都の亀屋清兵衛により宝永6(1709)年に刊行された京都図。当館所蔵の京都図の中では最も古いものである。街区は墨刷で、一部手彩色がある。通り名や各藩の京都屋敷、公家町は詳細に書き込まれている。詳細を見る
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選擇傳弘决疑鈔 センチャク デング ケツギショウ Senchaku dengu ketsugisho 寛永9年版
建長六年(1254)、良忠(1199-1287、浄土宗第三祖)が下総地方の教化によって鏑木九郎の帰依を受け、匝瑳郡鏑木に住んでいたころに辨長(1162-1238、浄土宗第二祖)から授けられた『選擇本願念佛集』を註解したもの。本書は「寛永九年壬申仲秋吉旦 新刊」の刊記はあるが、版元は記されていない。詳細を見る -
両面刷で、片面は京都図、もう片面は京都見物の際に有用な「京三条大橋ヨリ方角道法」、「京都縦横町小路並異名」などの記事を掲載する。京都図のある面は多色刷で、もう一方の面は単色刷である。他の京都図と比較して、内裏周辺や二条城が特に詳細に描かれている。詳細を見る
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檀林巡路記 ダンリン ジュンロキ Danrin junroki
増上寺の僧侶であった摂門(竹尾善筑)が記した関東十八檀林の順拝記。竹尾善筑(1781-1839)は明和事件で刑死した思想家・山縣大弐の孫であり、増上寺の寺誌である「三縁寺志」や、「十八檀林誌」なども著した。詳細を見る -
大正15年(1926年)に教学週報社により、創刊された逐次刊行物です。「教学週報」の創刊から停刊までは、通算で622号を数えますが、同時代の「浄土教報」と共に、近代浄土宗を代表する、歴史的に貴重な資料と言えるでしょう。詳細を見る
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多色刷の京都図。本体に題は記されていない。内容は「案見京都細図」(天保14[1843]年刊)に似るが、幕末に設置された京都守護職屋敷や薩摩藩邸(相国寺南)などが見られるため、幕末期の刊行と考えられる。詳細を見る
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東大寺、唐招堤寺、薬師寺、石山寺その他の多数の全国各地の名刹の所属する古写経、版本大蔵経などからの題跋類を収録したものである。今日ではその所在を佚したものも多く、日本考証学上の貴重な資料として知られる。詳細を見る
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今昔物語集 コンジャク モノガタリシュウ Konjaku monogatarishu 丹鶴叢書:庚戌帙 - 辛亥帙
平安後期の説話集。全31巻だが、現在は巻8・18・21を欠く。「丹鶴叢書」には「辛亥帙」に巻11-12、「壬子帙」に巻13-14、「癸丑帙」に巻15-16、「甲寅帙」に巻17、「庚戌帙」に巻22-31を収録する。詳細を見る -
無量壽經鈔 ムリョウジュキョウショウ Muryojukyosho 慶長版
鎌倉時代の僧・了慧道光(1243-1330)が永仁4年(1296)に撰述した「仏説無量壽経」の注釈書。本書は「洛陽七條寺内平井近江法橋良專開板/于時慶長二十年乙夘初夏上旬」の刊記をもつ古活字版である。詳細を見る -
平治物語 ヘイジ モノガタリ Heiji monogatari
軍記物語の一つ。『平治記』ともいう。『保元物語』『平家物語』『承久記』とあわせ四部合戦状とも称される。通例、三巻三冊で構成される。詳細を見る -
信實朝臣家集撰 ノブザネ アソン カシュウセン Nobuzane ason kashusen 丹鶴叢書:己酉帙
藤原信実の歌集。約200首を収録する。藤原信実は鎌倉時代の歌人で、画家でもあった。詳細を見る -
拵弓籐割次第. 諸鞍日記 コシラエユミ トウワリ シダイ. ショアン ニッキ Koshiraeyumi towari shidai. Shoan nikki 丹鶴叢書:戊申帙
「拵弓籐割次第」は弓に施す籐の巻き方や位置、幅等について記した書。21種の事例(図)を掲載する。詳細を見る -
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多色刷の京都図である。道筋を赤線で示す。刊記に「天保五甲午年開板 文久二壬戌年再板 京三條通寺町西へ入ル 竹原好兵衛版元」とあり、天保5(1834)年版を文久2(1862)年に再版したものであることがわかる。詳細を見る
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基盛朝臣鷹狩記 モトモリ アソン タカガリキ Motomori ason takagariki 丹鶴叢書:癸丑帙
鷹狩の歴史と故事等をまとめた書。持明院基盛の著作と言われてきたが、少なくとも前三分の二は西園寺実兼の著作であったと考えられている。詳細を見る -
[平安京御繪圖 : 并ニ名所ひとり案内] ヘイアン キョウ オエズ : ナラビニ メイショ ヒトリ アンナイ Heian kyo oezu : narabini meisho hitori annai
単色刷の京絵図。本体には題が入っていないが、多色刷の袋に「平安京御絵図 并名所ひとり案内」の題がある。図の裏面には「京名所独案内 道法附」があり、清水寺や金閣寺といった京都の名所の紹介文と、それぞれの地点間の距離及び方角が記されている。詳細を見る -
本資料は北辺を欠き、資料名も記されていない。また、刊記がなく、出版者や出版年も不明であるが、図の左下に「印付」(凡例)があり、「元禄又ハ宝永此かた享保ニいたりできたる新地」という記述があることから、本資料は少なくとも享保(1716-1735)以後の成立であることが分かる。詳細を見る
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大坂夏御陣之図 オオサカ ナツ ゴジン ノ ズ Osaka natsu gojin no zu
大坂の陣(大坂冬の陣、夏の陣)は、徳川氏が豊臣氏を二度にわたって攻め滅ぼした戦い。本絵図はこのうち慶長20(元和元〈1615〉)年の大坂夏の陣の配陣を描いている。詳細を見る -
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細見京繪圖 サイケン キョウ エズ Saiken Kyo ezu
色刷の絵図で、道筋は赤で刷られているが、退色している。「天明三年癸卯正月 正吉板」の刊記があることから、版元は京都の正本屋吉兵衛と考えられる。詳細を見る -
麒麟論私釋 キリンロン シシャク Kirinron shishaku
良定(1552-1639)の著。良定(袋中)は江戸前期の浄土宗の僧で、慶長8(1603)年、明に渡ろうとして琉球に漂着し、尚寧王の帰依をうけて桂林寺を開いた。本資料は良定没後の寛永21(1643)年に京都の書肆村上平楽寺から刊行されている。詳細を見る -
西園寺家車圖 サイオンジケ クルマ ノ ズ Saionjike kuruma no zu 丹鶴叢書:戊申帙
牛車の図8点を収録した書。牛車に施された装飾等が詳細に描かれる。鎌倉時代に西園寺家で用いられた牛車について、室町時代から江戸時代の初めまでにまとめたものであるという。詳細を見る -
懐寳京繪圖 カイホウ キョウ エズ Kaiho Kyo ezu
彩色刷の京都図の中では最も早いものであるという。道筋は赤線で刷られている。本資料の版元である正本屋吉兵衛は京都の書肆で、本資料に類似した「細見京絵図」(天明3)、「新増細見京絵図」(文化8)も刊行している。詳細を見る -
寳永改洛陽洛外之繪圖 ホウエイ アラタメ ラクヨウ ラクガイ ノ エズ Hoei aratame rakuyo rakugai no ezu
単色刷の京都図。一部に手彩色がある。街区は墨刷となっている。図中では「京三十三番廻」や「京ノ七口」が紹介されている。詳細を見る -
選擇要决 1巻 センチャク ヨウケツ 1カン Senchaku yoketsu 1kan
法然房源空(1133-1212)の主著『選択本願念仏集』について遺弟たちの間から出た異議を10か条に整理し、一つ一つ反論したもの。鎌倉時代初期の浄土宗僧・勢観房源智(1183-1238)が嘉禎2年(1236)に撰述したと […]詳細を見る -
京都御繪圖 : 文久新精 キョウト オエズ : ブンキュウ シンセイ Kyoto oezu : Bunkyu shinsei
多色刷の京都図。刊記には「文久二壬戌九月再版 三橋楼書房版」とある。竹原好兵衛が刊行した「文久改正新選京絵図」と配色や収載地域、内匡が同じで、建造物等の描き方も似ているが、同版ではない。詳細を見る -
觀經定善義傳通記 カンギョウ ジョウゼンギ デンズウキ Kangyo jozengi denzuki 觀經疏傳通記
浄土宗第三祖良忠(一一九九-一二八七)撰。善導の観経疏四巻を注釈したもので、玄義分記六巻、序分義記三巻、定善義記三巻、散善義記三巻の計十五巻の書。詳細を見る -
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大經直談要註記 ダイキョウ ジキダン ヨウチュウキ Daikyo jikidan yochuki
浄土宗の根本聖典である浄土三部経(「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」)のうち「無量寿経」の注釈書。浄土宗第八祖・聖聰の著。永享5年(1433)成立。全24巻だが、本学所蔵のものは巻5-8、11-12の6巻のみが残っている。詳細を見る -
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十二月あそひ ジュウニツキ アソビ Junitsuki asobi
正月から極月(十二月)にいたるまで内裏、京の町々を中心に伝わる年中行事や遊びの数々、季節の自然などが月ごとに描かれ、その様子が絵と詞、交互に書き連ねられています。詳細を見る -
天保改正袖中京繪圖 テンポウ カイセイ シュウチュウ キョウ エズ Tempo kaisei shuchu Kyo ezu
多色刷の京都図。本資料刊行の約50年前の天明6(1786)年には、「天明新板袖中京絵図」が本資料と同じ版元(竹原好兵衛)から出版されている。「天明新板袖中京絵図」と本資料は、サイズはほぼ同じだが、資料名に「天保改正」とあるとおり、ところどころ修正されているため、全くの同版ではない。詳細を見る -
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新増細見京繪圖 : 全 : 文化改正 シンゾウ サイケン キョウ エズ : ゼン : ブンカ カイセイ Shinzo saiken Kyo ezu : zen : Bunka kaisei
多色刷の京絵図である。刊記には「文化八年辛未閏二月御免 同十年酉春正月新刻 京 正栄堂田中吉兵衛板」(書肆の住所は省略)とあり、文化8(1811)年の刊行であることが分かるが、収録範囲や色分け等は、天明3(1783)年に京都の竹原好兵衛が刊行した「天明改正細見京絵図」などと同一の内容となっている。詳細を見る -
都名所百景 後半 ミヤコ メイショ ヒャッケイ コウハン Miyako meisho hyakkei kohan
『都名所百景』は、江戸時代後期に梅川東居、歌川北水ら5人の絵師が手がけ、大阪の版元石和により刊行された彩色木版画です。幕末の京都・洛中洛外における名所100景を網羅しています。詳細を見る -
「洛陽三十三所観音」の案内記。副題に「御詠歌并ニ道法」とあるとおり、1番の六角堂から33番の清和院まで、それぞれの御詠歌や各寺院間の距離などを掲載する。洛陽三十三所観音は、近世には「雍州府志」や「京羽二重」など多くの地誌類に掲載されたという。詳細を見る
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本書は完本ではなく、全三十六冊のうち原本は三十一冊で、列伝第一九から第二十五、第四十から第五十二までの四冊は和刻本の漢書評林を配している。 本書には室町時代の京都五山の僧と思われる人の訓点や書入れが多くある。今のところ、本書はこの種のものでは世界の孤本で、非常に価値あるものである。詳細を見る
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丹鶴圖譜 調度部 タンカク ズフ チョウドブ Tankaku zufu chodobu 丹鶴叢書:丹鶴外書
宮中行事の際の装束・調度などについて記した平安末期成立の書「類従雑要抄」のうちの調度の部分を印刷刊行したもの。詳細を見る -
蒙古襲来繪詞 モウコ シュウライ エ コトバ Moko shurai e kotoba 丹鶴叢書:己酉帙
肥後国の御家人・竹崎季長が文永・弘安の役における自分の戦功を描かせた絵巻を、冊子体の版本とした書。絵の部分に彩色はないが、「アサキ」、「朱」などの色の指定がある。詳細を見る -
元治改正京名所道の枝折圖 ゲンジ カイセイ ミヤコ メイショ ミチ ノ シオリ ノ ズ Genji kaisei miyako meisho michi no shiori no zu
元治元(1864)年、京都の小川多右衛門等によって刊行された京都図。図中には「宮御門跡方」、「公武御屋敷方」、「神社」、「寺院」などが色分けで表示され、主要な寺社名や各藩の京都屋敷の所在地が書き込まれている。裏面では神社仏閣の紹介文を掲載すると共に、三条大橋を出発地として各地を六日間でまわる順路を示している。詳細を見る -
京繪圖道法附 キョウエズ ミチノリツキ Kyoezu michinoritsuki
安永3年正本屋吉兵衛版「懐宝京絵図」と内容は同一だが、版元名は竹原好兵衛となっている。また、表紙には「京絵図道法附」の刷題箋がある。「道法附」とあるものの、距離等は本資料中には表示されていないので、この題箋は誤って貼られた可能性もある。詳細を見る -
案見京都細圖 アンケン キョウト サイズ Anken Kyoto saizu
多色刷の京都図。「校者 洛士 池田東籬主人考并圖書」「天保十四年卯秋 京寺町通綾小路下ル町 書林 近江屋佐太郎板元」との刊記がある。町筋・道筋や寺社等が色分けされて示される。道筋を赤線で表す方法は近江屋以外の書肆が刊行した京都図でも見られる。詳細を見る -
後水尾院當時年中行事 ゴミズノオイン トウジ ネンジュウ ギョウジ Gomizunoin toji nenju gyoji 丹鶴叢書:丁未帙
後水尾天皇(1596-1680、在位1611-1629)が正保・慶安(1644-1651)頃、後光明天皇(1633-1654、在位1643-1654)に贈るために編纂したもので、その当時の朝廷の年中行事、特に世俗的・私的な性格を持つ行事を中心に、その内容を記している。詳細を見る -
選擇本願念佛集 センチャク ホンガン ネンブツシュウ Senchaku hongan nembutsushu 江戸初期版
建久九年、九条兼実の要請に応じて法然が撰述したもので、京都廬山寺に現存する草稿本は、標題「選択本願念仏集」と冒頭「南無阿弥陀仏 往生之業念仏為先」の二十一字が源空自筆と伝えられる(重要文化財)。本書には刊記も年記もないため刊行にかかる確証をうることはできないが、江戸初期あるいはそれ以前の古活字版と推定される。詳細を見る -
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大坂冬御陣図 オオサカ フユ ノ ゴジンズ Osaka fuyu no gojinzu
慶長19(1614)年の大坂冬の陣の配陣を描いた絵図。本絵図には大坂城を中心に、両軍の軍勢が記されている。また主戦場等の地名は黄色の楕円で、主要な道路は朱線で示されている。詳細を見る -
中昔京師地圖 : 皇州緒餘撰部 ナカムカシ ケイシ チズ : コウシュウ ショヨセンブ Nakamukashi keishi chizu : koshu shoyosembu
森幸安が手がけた絵図の写し。応仁元(1467)年から天正期(1573-1591)までの約120年間の京都の状況を考証し、作成された。天正15(1587)年に完成した豊臣秀吉の公邸・聚楽第は本資料には描かれていない。森幸安は数多くの絵図を手がけた人物で、日本全国の絵図を作成しているが、特に京都やその近郊、摂津国(現在の大阪府)の絵図が多く伝わっている。詳細を見る -
前参議教長卿集 サキノ サンギ ノリナガキョウシュウ Sakino sangi norinagakyoshu 丹鶴叢書:戊申帙
平安後期の公卿・藤原教長の私家集。約970首の和歌を収録する。詳細を見る -
浄土三部經附六時礼讃偈音義 ジョウド サンブキョウ フ ロクジ ライサンゲ オンギ Jodo sambukyo fu rokuji raisange ongi
浄土宗の根本聖典である三部経(「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」)および六時礼讃偈に音韻と意義とを注解した書。珠光編。「浄土三部経音義」ともいう。原本の版式は慶長元和(江戸初期)、刊行は江戸前期であると考えられている。詳細を見る -
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選擇傳弘决疑鈔 センチャク デング ケツギショウ Senchaku dengu ketsugisho 寛永期 古活字版
浄土宗第三祖の良忠による『選択集』の注釈書。古活字版。「選擇傳弘決疑鈔」の古活字版は『浄土教古活字版図録』によれば慶長14(1609)年版、慶長19(1614)年版、無刊記本があるが、これらはいずれも本資料と異なる活字を用いている。詳細を見る -
多色刷の京都図。図中には刊行年が記されていないが、袋に天保5(1834)年改正である旨が記されているものがあるという(当館所蔵本には袋なし)。 版元の竹原好兵衛は数多くの京都図を手がけた書肆で、本資料を改正した「文久改正新増細見京絵図大全」、「元治改正新増細見京絵図大全」を出版している。詳細を見る
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「前川五郎左衛門家文書」は、京都六角本能寺町に居を構えた前川五郎左衛門家に由来をもつ文書群です。前川家は、両替商をはじめ京都御用米会所貸付方や禁裏御香水役など、近世京都において多彩な活動に従事しました。本文書群は、こうした活動を伝える文書類を中心に、約3万点の資料から構成されています。詳細を見る
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佛道修行教文 ブツドウ シュギョウ ノ キョウモン Butsudo shugyo no kyomon
書名は「佛道修行教文」とあるものの、内容は「阿弥陀の本地」または「法蔵比丘」の名で知られる室町物語であり、松本隆信氏の「阿弥陀の本地」の分類によれば甲類に属す。室町前・中期頃の写本と推測される。詳細を見る -
懐中手引京繪圖 : 全 カイチュウ テビキ キョウ エズ : ゼン Kaichu tebiki Kyo ezu : zen 再刻
単色刷の京都図。書名に「懐中」とあるとおり、折り畳んで持ち運びしやすい小型絵図である。街区は墨刷で、他の大型絵図にあるような「京の七口」などの情報は掲載されていない。詳細を見る
